第1章 猫の缶詰め

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「確かに、私と彼と社長は仲が良かった。ここだけの話し、彼と社長は前々からの友人だったのよ。だから貴方が思っているような下品な意味はないし、私達は三人で食卓を何度か囲った仲であるだけで、それ以上でもないのよ。それに、社長は生真面目で愛妻家よ」と、彼女は漸く角立った口調で僕の挑発に応じたのだった。貴方は私が社長の座を狙っていると言いたいのね。そしてこの莫大な資産になるであろう缶詰めの権限を手に入れようとしていると言いたいんでしょう?と彼女もまた少し苛立った口調で言い放ったので、僕はばつが悪くなって暫くの間黙り込んだ。僕は自分はなんという愚かな男だ、と考えた。 おい、と低く落ち着いた男の声がして僕達が振り返ると、彼女の婚約者が画板を抱えて背後にどっかりと居座っていた。僕は小さく突発的な悲鳴をあげて背中に冷たい汗を漲らせるのが知れた。男はがっしりとした体格と浅黒い皮膚、太い首を持っていて、ギョロギョロと威嚇的に僕を見た。 「お前達、何を仲良さそうに話していた?仕事をそっちのけで、何を話していたんだ?」 「何でもないわよ」 彼女は素っ気なく答え彼を見なかった。婚約者は凶暴で横暴だが滅法か弱い精神を持っていて、彼女に冷たくあしらわれたことを気に病んだ様子だった。僕がいつあの日のように婚約者が怒り猛り、僕に暴行するのではないかとビクビクしていると、彼は濃い群青色の画板を僕に突き出して、「お前、この前チェックシートに記入を忘れたな。お前はどうしようもないヤツだ、人のモノに手を出す、意地汚いカスだ」と僕を罵った。僕は不快感を感じない程卑屈であるわけではなかったが、恐怖心の方が遥かに勝っていたので口答えをすることはなかったのだが、彼女は鋭く冷たい声色で「意地悪をしないで」と彼を怒鳴ったので、僕は優越感に浸りながら嘲笑してやりたかった。婚約者は僕の胸辺りを小突くように画板を手渡して、交代だと短く言った。
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