捨てられないハンカチ

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「今日は弾かないの?」  スーツの女性がカクテルを飲みながら、俺に微笑む。レコード会社に勤めている、洋子さんだ。  午後七時半。バイト先のバーに、俺はいた。 「ええ……」  グラスを拭きながら、洋子さんに応える。 「弾いてよ。ねえ、いいでしょ」  彼女は猫なで声を出した。無下に断ることもできないから、困ったように笑んで、彼女から引き下がるのを待ってみる。  だが。 「いいんじゃないか。久しぶりに、弾いてこい」  隣にいた年配のバーテンダーが洋子さんの話にのっかた。逃げられそうにないな。 「……じゃあ、少しだけ」  客は、洋子さんと数組のカップル、白髪の男。  照明をつけ、グランドピアノを足元から照らす。漆黒の鍵盤蓋をあけ、椅子に座った。鍵盤に指を置き、優しく押していく。静かな空間に、ピアノの音が響き、瞼を閉じた。ショパンのノクターンを弾き終わり、洋子さんからリクエストがとぶ。ムーン・リバー。ゆっくり、丁寧に、弾いていく。洋子さんの欲を満たすために。
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