捨てられないハンカチ

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 百円ライターで、灰皿の上に置いたCDを焼くと、毒ガスとしか思えない匂いが、喉に絡みつく。  今は、夕方だろうか。それとも、早朝か。  今日は、何月何日の何曜日だろう。  ときどき、世間から取り残されているような気持ちになる。それは、一言で表せば、恐怖だ。  誰も、自分を知らない。どこにも、居場所がない。この世界のどこかに、目に見えないドアがあって、それを力ずくで開けなければ、みんなが生活する世界へ行くことができない。  そんな、気持ちになる。  ひきっぱなしの布団に寝転がる。  柔軟剤の香りに、瞼を閉じた。  あいつからも同じ香りがした。  大学時代の友人を、瞼の裏に思い描く。  偶然、バイトのバーで会ってからというもの、佐伯英治とは毎日、なにかしらの方法で、連絡を取り合っている。何年も離れていたのに、今じゃ、あいつのいない生活など想像できない。  手の甲を額につける。  六年前、俺は不毛な恋をした。  随分寝たと思うのだが、また、眠気で瞼が下がる。が、玄関のドアの鍵が乱暴に回され、神経が飛び起きた。  佐伯は革靴を脱ぎ散らかし、スーツが皺になるのも構わず、こちらへと倒れ込んだ。布団の上で、佐伯を受け止める。煙草の匂いと、あの柔軟剤の香りがした。 「悪い。少しだけ寝させ……て……」  言いきれずに、相手は眠りに落ちた。鼓膜を震わす寝息に、溜息をつく。  幸島庸輔の声がしてきそうだ。  どんまい。  こちらを労わる男の眼差しを思い出す。自然と、口角が上がった。
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