捨てられないハンカチ

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 俺は大学に入学してすぐ、この大学へ来たことを後悔した。  文芸はクズだ。  その殴り書きは、大学の講義室の長机にあった。性質が悪いことに、油性ペンで書かれている。 俺は十八歳だった。  一般教養で使われる講義室だ。どの学科も入れる。裏を返せば、どの学科の学生でも、この文字を書くことができ、読むことができる。  ここには、人の夢を馬鹿にする人間はいないと思っていた。ショックだった。 「座らないんですか?」  声をかけられ、びくりと震えた。 「座らないなら、座っていいですか?」  そこ、と、青年が暴言を指さす。 「ここ?」 「そう、そこ」  ちらりと油性ペンの文字を見る。青年は唇を伸ばした。 「文芸?」 「いや、音楽」 「なら、傷つく必要ないんじゃない?」  青年が黒い文字の上に鞄を置こうとする。俺はそれを押しやり、拳でその文字を消そうとした。皮膚が摩擦で痛むのに、文字が消える気配はまったくない。  一般教養を受けに、他の学生がぞろぞろと入ってくる。好奇な視線を感じる。  青年が手首を掴んできた。彼は何も言わずに、文字の上に鞄を置き、淡々と聴講の準備をしていく。俺は居たたまれなくなって、講義室を出た。
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