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「佐伯は他人の人生観を変えようと、くどくどしゃべったわけじゃない。俺達は俺達だからって、ただ堂々としていた。むろん、蔑むような言葉もあった。だけど、佐伯は怒らなかったな。相手の意見を否定せず、それでも、君のことが好きだって笑ってたぜ。当たり前じゃないことを、当たり前にするのが、どんだけ難しいか、俺より加藤君のがわかってんじゃねえの?」
「……今日、この大学で、佐伯が学生時代の恋人と会っているのを見ました。違和感がなくて、とてもお似合いで、だから、俺、どれだけ佐伯に好きだって言われても、これからも、嫉妬や絶望を感じてしまうと思うんです。俺ができないことを、彼女ならできる。その方が、佐伯だって幸せだと、どうしても、思ってしまう」
「俺は昔の佐伯より、君と一緒にいるあいつのが好きだな、うん。ちょっとは、人の気持ち、考えるようになったんじゃねえの。だから、展望台で君を責めたことを、後悔している。君が記憶を改ざんしたって、佐伯から聴かされて、あんときの俺をぶん殴ってやりたいって思った。こんな俺だけどさ、もし加藤君がよかったら」
遠野が銀色のケースから名刺を取り出す。
「一緒に映画を作ってみないか? 加藤君は主に音楽担当で採用したいって、仲間には話をしてある。社員はほとんど、この大学の出身者だ。気が向いたら、連絡をくれ」
名刺を受け取る。
「佐伯が女と話していた件は、ちゃんと誤解、解いとけよ」
「遠野さんは佐伯のことを、誤解だって言い切れるほど、信用しているんですね」
コーヒーを飲み干し、遠野が溜息をつく。
「佐伯もよっぽどの鈍感だが、加藤君も加藤君だな。本当に、わかんない? 佐伯は加藤君が逃げないように、外堀、埋めまくってんだって。そんなことまでしてんのに、他の子にときめくか? ない。ないね」
「……そう……なんですか?」
「はは、マジか。加藤君ってかわいいな。佐伯が言うはずだわ」
顔から火が出る。
「かわいいって、佐伯、そんなことを言ってるんですか?」
「言ってる、言ってる。だから、加藤君こそ、諦めな。そう簡単に佐伯が君を手放すとは思えんからな」
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