この勝負に勝者はいない。

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◇苗場の場合◇ ふー、ギリギリ間に合った。 会社員の苗場は女子トイレの一室でホッとした。 仕事中、猛烈な便意におそわれた彼は、ダッシュでトイレに向かう。 だが、男子トイレの個室はどれも使用中。 ちくしょう! もう他の階のトイレまで歩いていけねえ! かくなる上は……。 我慢の限界に達した彼は、勢いのままに同じ階にある女子トイレに駆け込んでしまった。 苗場の犯罪的な賭けは成功してしまう。 女子トイレには誰もいなかった。 トイレの個室は3つある。 1番奥と真ん中の扉は閉まっており、どちらも正面扉に故障中との貼り紙がわかりやすく貼ってある。 しめた! 彼はそう思った。 急いで彼は個室へ駆け込み、鍵をかけ……スッキリした! 自身の精神力と便意のギリギリ勝負に勝利した苗場。 しかし、苗場は冷静になって状況を確認し始め……彼自身かなり追い詰められているのがわかった。 状況が状況だ。 こんな事がもし、会社の人間にバレてしまったら……いたたまれなさで朝礼前に会社を退職する。絶対に。 それに、片思いしている北浦雛子さんに知られてしまったら……きっとこのビルの屋上からダイブしてしまう。 彼が後ろ向きな考えをしている時、ドアからノック音が聞こえた。 誰だっ! 可愛らしいが血気せまる女性の声だった。 女性は何度もノックし、早く開けてほしいと訴えた。 彼は女性に厳しく対処する。 いや、誰だろうと出るものか……よしっ、シカトしよう。 苗場は最初、自衛のために無視をしていた。 だが、だんだん悲痛な声に変わっていく扉の外の人間に対して、彼は先ほどの一大事を思い出す。 個室トイレで繰り広げられた、あの殺伐とした戦いを。 ああ、この女性はさっきまでの俺と同じ状況だったんだろう。 間に合わなかったら……そりゃ嫌に決まってるよな。 腕を組み、苗場はうんうんとうなづいた。 苗場は目をつむる。 呼吸を整える。 そして、彼は覚悟を決めた。 目の前の女性を助けて、さっぱりと会社を辞めてやろうと決意した。 カッと目を見開く。 カチャカチャとスーツのズボンを直し、ロックを開ける。 キィと軋んだドアの音。 扉を開けると、目の前には北浦雛子がいた。
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