平成29年3月20日

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妻と結婚したのは26歳の頃、子供が生まれるまでに3回流産を経験した。初めての流産のとき、子供を授かって舞い上がっていた私は職場・両親にも話をしたし、今後どういう生活をしようか?とあれこれ考えていたと思う。そんな思いと裏腹に初めて妻のお腹に宿った子どもはいなくなってしまった。妻の心理的なストレスは相当のもので、一時的な休職もしたし、妻の実家で生活することも多かった。このときは私が妻の実家に極力帰すことが多く、むしろ妻がともに生活する住居に戻ってきたがっていたような気もする。2回目の流産を経験したとき、妻の職場から転勤を言い渡され、妻はそれを嫌って退職した。常勤であったし、収入的に・社会保障的に安定した仕事であったが、1時間の通勤に関わるストレスが大きいという本人の判断から続けることは困難なものであった。経済的には当時の私の収入も大変で、大学院にも通い始めたばかりで部分的な借金もしながら凌いだような記憶がある。本人のストレスと家事を行うキャパシティがないという主張もあってそれからはパート勤務、3回目の流産を期にそのパート先も変わることになった。中々上手くいかない状況は妻本人にとっても自分を追い詰めることになった。友人との関係を自ら断つこともあったし、人の幸せを素直に祝福することもできなくなっていた。そんな妻に時には諭すように話したこともあったし、口論になることもあった。ただ、妻と共に人間として豊かに苦難も含めて成長していかないといけない。そういう気持ちは今思い出してもあったと思う。
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