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「ところで……」
冬吾は夕莉の右手に視線を注ぐ。最初から気になっていたのだが、彼女の右手には何やら物騒なものが握られている。
「なんで、包丁握ってるんですか?」
「ん? あ……」
夕莉は指摘されて初めて気がついたようだった。彼女は照れたように笑って、
「いけないな。今ちょうど野菜を切るところだったから、つい持ってきてしまったみたいだ」
慌てていたとか、胸を躍らせて出迎えたとかいうわけでもないだろうにそんなミスをするところがなんというか、夕莉らしい。頭も良いししっかりしているのに、妙なところで抜けている人なのだ。
「気をつけてくださいよ。先輩は何もないところでも転んじゃうタイプなんですから」
「む……そんなことは……いや、ぼーっとしてると、たまにあるけど……」
あるんだ……。ほんとに気をつけてほしい。
夕莉は誤魔化すように咳払いをする。
「と、ともかく。夕飯の支度にはもう少しかかるから、君は居間にでも行ってゆっくりしているといい」
「手伝いましょうか?」
「いい、いい。何の用事だったか知らないが、疲れてるんだろう? 見ればわかるよ」
長年の付き合いだけある。深く詮索しようとしてこないのもありがたい。
「じゃ、お言葉に甘えます」
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