第1章 モーツァルトはスパイ?

2/10
前へ
/10ページ
次へ
東京郊外にあるF大学に、ひとりの ジャーナリストがやって来た。 8月の真夏日、既に大学は夏休みに 入っていて、キャンパスには誰も居ない。 ただ一人文化系の臨時講師、 山岸陽介(やまぎしようすけ)が、 校内の一角にある、臨時講師用待合室に ひとりだけ執筆作業を進めていた。 この部屋は臨時講師専用に、講義 時間までの待機場所だった。 その部屋で山岸は、講義用のパワーポイント作成に 没頭していた。 ここなら、一日中クーラーが付けられて いたからだ。 研究課題は、『モーツァルトスパイ説』。 モーツァルト親子は本当に、音楽学習の 為だけに欧州縦断旅行をしたのか? という研究だった。 決して内容はコンプリートではないが、 モーツァルトに対するリスペクトは 許容範囲だ。 父親のレオポルトモーツァルト (1719ー1787)は、ザルツブルクの ヒエロニムスコロレド伯爵に仕える 宮廷音楽家であった。 モーツァルト親子は、1762年から1771年に かけて、パリ、ロンドン、イタリア各地に 大旅行を行った。 アマデウスモーツァルトの音楽教育という 名目だが、果たしてそうなのだろうか? その時だった、出入口のドアをノックする 音が室内に響く。「はい」 山岸が返事をしたところ、ゆっくりとドア が開きひとりの男が入って来た。 高校の校長職を長年務めた山岸は、 定年退職した後、F大学の臨時講師を 理事長から頼まれた男である。 65歳になった山岸の目の前に、若い男が 立っている。 「初めまして、フリーライターの 黄色広隆(きしきひろたか)と言います」 山岸が、右手を差し出しながら。 「どうぞ」 黄色が軽く会釈すると、近くにあった パイプ椅子に腰掛けた。 「要件は?」 「実は、連載記事の締め切りが3日後に 迫っていまして、先生のお力添えで ヒントになる記事を提供して頂ければ ありがたいのですが」 思考を巡らせながら、虚空を見つめる 山岸。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加