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雨の旦月(あかつき)市。
鎮守の森と呼ばれる雑木林の横道を、ビニール傘を差した白いワンピースの女が歩いている。
肩で切りそろえられた髪が彼女の歩調に合わせて揺れている。
この春に在京の大学を卒業し地元に戻ってきていた。今は郷土資料館で学芸員をしている。
名を黒住葉子。
病院に行った帰りである。喜ばしい報告をその身に宿していた。
早く帰ろう、昼過ぎから降りはじめた雨も今はなんだか好ましい。
まだ日の暮れる時間でもなかったが、降り続く雨のせいで薄暗く、肌寒い。身体が濡れないようにと気にし過ぎていたせいか、葉子はうしろからひたひたと近づく影になんの注意も払っていなかった。
影はジーパンにウインドブレーカーという地味な格好で、傘もささずにフードだけかぶって歩いている。顔は見えないが、露出した手の甲あたりの質感や、肩の張り具合かたちから、どうやら年若い男であるようだ。おそらく少年と呼んでも差し支えない年齢だろう。
朱く染まった手にはナイフが握られていた。
果物の皮を剥くためのペティナイフ。柄まで一体鋳造されたものであり、決して安いものではない。
少年はひたひたと足音なく葉子に近寄っていく。
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