第1章

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 【プロローグ】  小学六年生の夏休みに、僕は決めたんだ。  もう二度と虫捕りはしないって。  それは──。  緑に囲まれた空間って、こんなに涼しかったんだと、僕は小学六年生の夏休みに初めて知った。本当の涼しさは、いい香りも合わせ持っている、それこそ一番身体に優しい涼しさなんだって、木々に囲まれた天井を見ながら、僕は思う。  おばあちゃんの田舎にくるのは、これで五回め。でも、この森に入ったのは、これが初めてだった。それは、ここが立ち入り禁止区域だから。  それでも冒険をしてみようと思ったのは、夏休みの宿題のせいだ。今年は理科の研究課題のネタをさっぱり思いつかなかったから。  去年までは三人で来ていた田舎。母さんが父さんと離婚した今年は、母さんと僕、二人での帰省となった。  離婚して父さんがいなくなったことは思ったよりも僕にショックを与えなかったけれど、得意なはずの理科の研究ネタを思いつかないなんて、やっぱり少しはショックがあったのかもしれない。  少し投げやりな気持ちで、この森の中をさまよってみることにした。立ち入り禁止区域といっても、どうぞ入ってくださいませ的なチョロい鉄条網が張ってあるだけなので、子供の身体ならたやすくすり抜けることができる。禁止区域の中に踏み込んだ僕は、立て札に偉そうに書かれている立ち入り禁止の文字に向かって、そうれ見たことかとつぶやいた。  昼食までには二時間ある。昆虫をつかまえて、その解剖結果でも写真にしようかと思う。どうせ何日もかけた研究なんて、する気も起こらない。単発での勝負だ。後は、受け入れる側の先生の問題だ。今年転任してきた理科の先生が広い心を持っていることに期待しよう。  そんなことを考えながら、僕はお好み焼きにかけるマヨネーズのように、辺りに隙間なく目を走らせた。  いた。真っ黒いセミ。僕は捕虫網を掲げてそっと近づいた。ゲット。網の中で羽ばたくセミを観察する。なんだ、思ったよりも小さい。これじゃ、解剖しにくい。おまけに、足が一本欠けているので、写真写りが悪そうだ。僕はため息をつきながら、網を裏返しにした。セミは足を網目にとられていて、羽ばたくだけで飛び立たない。仕方がないので、僕はその小さな身体をつかんで網から外してやり、森へ返した。セミは大げさなほど大きな音を立てて羽ばたき、S字を描きながら木の間に消えた。
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