第1章

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 セミの吸い込まれた辺りをしばらく見ていた僕は、ここじゃだめだな、と首を振った。 「ここ」じゃだめ、と言ったのには理由がある。それは、向こうに細かい鉄条網の張り巡らされた区域があるのが目に入ったからだ。さっき僕がくぐり抜けた、まるで母さんの料理みたいに手抜きだらけの鉄条網じゃなく、ネズミ一匹入ることができないような細かなもの。そして、その上から見える、こことはまったく違った種類の木々。  もしかしたら、あそこならとんでもない昆虫が見つかるかも。そんな予感がした。  でも、とその場所に近づきながら僕は思う。どうやって入ればいいんだろう。たとえ傷だらけになったとしても、この鉄条網は向こうへ行くことを許してはくれないだろう。  なにげなく足下を見る。これは。土を靴底で払い除ける。マンホールのような鉄のフタが現れた。直径六十センチメートルくらいの大きさだ。今度は鉄条網の向こう側に目をやる。鉄条網をはさんでここと対称的な位置に、同じような鉄のフタが見えた。やっぱり。もしかして、これを抜ければ、向こう側に行くことができるんじゃないだろうか。  そう思った僕は、もうすでに行動を起こしていた。捕虫網の柄をフタの穴に差し込み、テコのように起こした。フタがずれる。手が入る隙間ができなので、僕は両手で重いフタを横にずらした。手すりが見えた。僕がその穴をながめていたのは、わずか数秒だったと思う。よし、と気合いを入れ、捕虫網を持ち、虫かごを斜め掛けして穴を下りていった。  縦穴はすぐに横穴になり、鉄条網の向こう側に向かっていた。トンネルの空間は、子供の僕ならちょっと屈めば十分通れる広さだ。ポケットからケータイを取り出して、画面を表示させる。そのわずかな明かりを頼りに、ゆっくりと歩いていく。やがてまた縦穴になり、ケータイを頭上にかざすと、鉄のフタが見えた。  僕は手すりにつかまって慎重に上り、痛いのをちょっと我慢して、フタを頭で数センチメートル持ち上げてずらした。半分くらい動いたフタを、後は片手で力任せにずらせる。よし、トンネルの貫通だ。  穴から出た僕は、ぐるりと見渡した。さっきいた場所よりもこっちのほうが、森が深いように感じる。それは、地形的な深さだけでなく、沈黙の深さといったらいいのか、森の優しさをあまり感じられないような空気が僕を包んでいる。
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