8/10
前へ
/75ページ
次へ
 地元の中小企業に就職していた彼は、営業で彼女の会社を訪れていた。  大学に通っていた頃とは違い、きっちりとスーツを着こなして、すっかり社会人になっていた。それもそのはずで、彼女が彼を最後に見たときから、既に三年のときが過ぎていた。  それなのに彼女は、彼の後ろ姿を一目見ただけで、それが誰であるかはっきりとわかってしまった。二度と会うこともないのだろうと思っていたのに、世間とは想像以上に狭いものだと思った。  彼の存在を認識して、彼女は咄嗟に物陰に身を隠した。  すぐにでも声をかけたかった。けれど、一度振った相手にどんな顔をして声をかければいいのか、彼女にはわからなかった。彼女はすぐに彼のことに気がついたけれど、彼は気づいてもいない、話しかけても彼女が誰であるかすらわからないかもしれない。  人付き合いが苦手な彼女が、ネガティブな思考で身動きを取れなくなっていたそのときだった。 「お久しぶりですね」  いつの間にか彼女のすぐ傍まで来ていた彼に、声をかけられた。心臓が止まるかと思った。  大学で他愛もない言葉を交わしていた頃と変わらない様子で、彼は彼女に再会を喜ぶ言葉をかけてくれた。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!

548人が本棚に入れています
本棚に追加