眠り姫事変 1

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眠り姫事変 1

 やあやあ皆さまごきげんよう。グナエウス王国第二王子のシャングリア・グナエウスです。  先日中庭で拾った黒い革の日記帳。なんとそこにはこの国の未来が! その日記帳の持ち主は隣国ボンベイからの留学生、第三王子のニコラシカ・アレクサンドロヴィチ・ボンベイの物だった! なんと彼はこの国のご令嬢たちと恋愛して婚約したり、男装王女の私と結婚して果ては王配になるらしい! なんということでしょう!  ギルティ。  そんなこと絶対させない! 私は愛しの護衛隊長と結婚して幸せな未来を築くんだ! 第三王子にはおとなしくお家へ帰ってもらおう!  そう決意して早一か月、ボンベイ王国一行にべったりで見張り続けている私は見世物小屋の動物の気分を味わっていた。  「見て! 本当に素敵ね……!」  「まるで絵本の中から出てきたみたい」  「どこをとっても現実味がないのが好きだわ。しかも性格まで擦れてない天然……」  「庇護欲が……」  あちこちから女子生徒たちの囁き声が聞こえ、視線がこれでもかと突き刺さる。  ”月の君”ことボンベイ王国の第三王子、ニコラシカ・アレクサンドロヴィチ・ボンベイはとんでもなく目立つ。滅多にいない留学生で見目麗しいことでしばらくは騒がれると思っていたが、ニコラシカの人気は留まるところを知らない。物語の中から出てきたような美貌だけではなく、浮世離れした発言や性格が人気に拍車をかけているのだ。  正直、いや比べるのもどうかとは思うけど、私や兄シュトラウスも人気は高かった。絵にかいたような王子様。紳士的で親切で、それでも一線を画すような立ち振る舞い。私も兄も完璧にこなしてみせた。  「シャングリアさまたちはジェネリック王子様なんですよ」  「じぇね……?」  そう私たちを称したのはアドリア嬢だった。放課後学園内の一室を使い、パトラさんと私によるアドリア嬢矯正教室が開かれている。その成果が出ているのか、根本の性格からか、今では奇行に走ることはなく、貴族令嬢たちの中にいても浮かないくらいには溶け込んでいる。  「後発薬品、じゃないですね。ええと、量産型王子様というか、みんなのイメージする王子様であろうとするから、みんなから人気はあるけどある意味典型的な王子様なんですよね。だから目の前にいても画面越しにきゃあきゃあ言うのと変わらないんです。でもニコラシカ殿下はどこまでも天然だから新鮮でオリジナリティを感じるんです。しかも気取った風でもないから手が届くはずもないのに身近に感じるような不思議な魅力があるんです」  「りょ、量産型王子様……」  ものすごいパワーワードだ。量産型など生まれてこの方そんなふうに言われるのは初めてだ。  ただ何一つ反論が思い浮かばないのも事実。私もシュトラウスも無理してキャラクターを演じているわけではない。それはそれぞれの性格に十分合致しているし、社会生活を送るうえで一定のキャラクターはだれしも演じているはずだ。ただ王子とはこういうもの、こうであれ、と思っているのも事実。確かに大衆が描きそうな王子様像をなぞっていることは否めない。  「しかしあの性格では社会生活を送るのが困難な気がします。他国の要人の相手にしても、貴族たちの緩衝材にしても、ああもパヤパヤしていては……愛嬌はありますが人を従わせるだけの威厳がありません」  もし自分がああいう態度を取っていたらグナエウス王国ではやっていけない気がする。  ああいうキャラクターでは兵士たちはついてきてはくれないだろうし、おそらく舐められる。舐められれば付け入ろうとするような不届き者が当然現れる。それを避けるためにはさらに役に立たなそうな阿呆を演じる必要が出てくるかもしれない。  「もっとも、あの日記を読んでいる身からすると全く演技の可能性もぬぐい切れませんね」  「ええ……そう思うととんでもない演技力ですよね。私もついあれが素だと思っちゃいますもん」  「恋しちゃいました?」  「どちらかと言えばきゃあきゃあ言うミーハー心です」  恋愛ゲームに前世で興じて、今世でもそれをなぞろうとした元主人公だというのに、彼女はいまだに恋を理解しないままらしい。理解せずとも生きていけるし、いっそ持たない方が貴族社会ではうまくやっていけるだろうが、彼女自身がそれを心の底で良しとはしない。恋をしていないことがコンプレックスなのだ。恋にこれでもかというほど溺れている私が何を言っても無意味なのだろうが。  「ちなみにシャングリアさまとニコラシカ殿下の架空恋物語は相変わらず人気ですよ」  「なんですかその悍ましい物語は」  「過ぎたる美しさは時に人の想像力を暴走させるんですよ」  今すぐ人々の余計な想像力基い妄想力にブレーキをかけたい。私とニコラシカの噂もまた留まるところを知らない。正直以前の流れた「私の好みの女性は、姉貴肌の色素の薄い、刀を扱うゴリラ」という時よりも流布する期間が長い。おそらく私がずっとニコラシカと居続けているだろうからだが、恋愛のれの字もないし、私に疲労感が蓄積されていくだけの日々なのでせめて噂や妄想だけは消え去ってほしい、切実に。  「でも実際シャングリアさまもニコラシカ殿下も見目麗しいからすごく絵になるんですよね。ミオスさまですらニコラシカ殿下のことを「妖精や天使のよう」っておっしゃってましたから」  「それ絶対シュトラウスの前で言ってはいけませんよ」  「さすがのシュトラウスさまも嫉妬されてしまいますか?」  冗談のように聞くアドリア嬢に思わず真顔になる。  そうだ、かなりいろんなことを話しているからすっかり忘れていたが、アドリア嬢はシュトラウスの狂気を知らないのだ。彼女にとってシュトラウスは「万能の、王になるべき王子」のようにしか見えていないのだ。だからこそ「あのシュトラウスさまが嫉妬? そんなまさか」みたいな愉快なことが言えるのだ。  「大変なことになりますよ」  「大変なこと?」  「人の一人二人いなくなるかもしれませんし、もしかしたらパトラさんを日の下で見られなくなるかもしれません」  「いったい何が起きるんですか……!?」  戦慄するアドリア嬢にわかりません、としか答えられない。  シュトラウスの怖いところは暴走した時何が起こるのか想像がつかないところだ。少なくとも想像したところでそのはるか上をしれっといきそう。暗殺監禁は序の口で、もっとうまく、傷も証拠も残らない方法を取って邪魔者を退場させそうだ。パトラさんとてシュトラウスに夢中なのだから、どうせ客観的事実程度にしか言っていないだろうに。  「シャングリア殿下!」  「どうしましたか、ソーヴィシチさん」  「あの、ニコラシカ殿下を見かけませんでしたか……?」  決して目つきがいいという訳ではないソーヴィシチだというのに私と相対するときは微かな怯えを見せてくる。そんなに脅かした覚えはないのだが。  「いえ、特に見えてはいませんが」  「私も見ていません。殿下がいらっしゃらないのですか?」  アドリア嬢の言葉に頷いてから勢いよく私の方を見た。どうしよう、また怒られるかもしれない、と顔に書いてある。どうやら街での一件が随分と堪えているらしかった。  「まあ学内にいらっしゃるなら安全ではあるでしょう。見かけましたらあなたかストラースチさんに声をかけさせていただきますね」  「申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします……!」  綺麗な礼をした後ソーヴィシチは足早に去っていった。  それにしてもほとんど三人一緒に行動しているというのになぜニコラシカは迷子になるのか。幼児なのか。それともやはりわざと撒いているのか。  アドリア嬢もよくストッパーであるアークタルス・ハボットを撒いていたが、その時は大抵イベントをこなすためだ。  「ニコラシカ殿下、イベントへの参加ですかねぇ?」  「今日起きそうなイベント、ありましたか? 少なくとも王配ルートではなかったと思いますが」  つい最悪の事態である王配ルートばかり気にしてしまい、別ルートまで把握しきれていない。  「一応攻略対象になっているご令嬢たちに探りを入れていますが、特にニコラシカ殿下と個人的な接触はまだされていないみたいです」  「……なるほど。じゃあ今回が初めての接触となるパターンもあり得るんですね」  「…………シャングリアさま」  「余計なことは考えずに生きましょう」  余計なことは考えない。それが自分の精神的健康の維持の仕方だ。ワタシナニモカンジテナイヨ。  ふと傍の教室の中から何かが床に落ちるような音がした。今はすでに放課後。一般の生徒は帰っているはずだ。  「何の音でしょうか」  「す、ストップ! 待ってくださいシャングリアさま! フラグです、これはフラグです……!」  「フラグ?」  ほとんど反射的に扉を開けようとした私の腕にアドリア嬢が縋りつく。はしたない、と注意しようとしたところで男爵令嬢にあるまじき表情にぎょっとしてなんと言おうとしたか忘れる。  「こういうのにはセオリーっていうものがあるんです……! 校内で迷子になる新入生と偶然である素敵な先輩、先生に押し付けられた雑用を手伝ってくれるクラスメイト、裏庭で出会う影のあるヤンキー、そして体調不良のところを見つけて看病してくれる高嶺の花! 今ここです!」  セオリー、なるほどセオリーか、と反芻する。言っている意味と勢いはよくわからないが多少分かった。多分やることはアドリア嬢と似たり寄ったりなのだろう。この子も確かうっかり王宮の庭に迷い込もうとしてたし。日記に書かれていた侵入経路は塞がせていただきました。  「と、なるとこの中には倒れたニコラシカ殿下がいらっしゃると」  「おそらく……! さっきソーヴィシチさんが思いっきりフラグ立てていきましたし、私たちが通りかかるタイミングで音を立てて倒れるだなんて完全にイベント発生フラグ以外の何物でもありません!」  「だから開けてはいけない、と。でも開けなくて本当に殿下が体調不良だった場合非常にまずいです」  もし完全に演技で本人の体調が頗る良好であれば無視していってなんの問題もないのだが、本当に体調不良で倒れていて、本人の生命の危機的状況であるなら一刻も早く医師に見せなければならない。  ボンベイ王国第三王子、留学先のグナエウス王国にて不詳の内因死! なんで見出しがニュースを飾ったなら王配ルート以前に国際問題待ったなしだ。  フラグ、フラグとはなんと恐ろしいのか。それが罠であるとわかっていても、そのフラグを回収せざるを得ないような状況ならびに条件を提示してくる。私に選択肢などないではないか。  「……開けます。少なくとも私が一人で見つけるよりアドリアさんと一緒に開けた方がましですよね」  「そ、そうですね。確かにこの状態ならどちらとフラグがたつかわからないし、本人が目を覚ますより先に人を呼んでしまえばうやむやになるはず……、たぶん!」  無理やり納得するアドリア嬢に拭いきれぬ不安を抱きながら再度扉に手をかけた。  ニコラシカ・オア・ノットニコラシカ、デッド・オア・アライブ!  ちなみにイエスニコラシカでデッドだった場合グナエウス王国未曾有の危機です。ええいままよ!
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