誕生日

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 義母が私の生活やイベントに積極的に関わってくれたのは、私に『母』の助けや支えが見えなかったためだろうことは、想像に難くない。私が淋しさや不安を抱えているのではないか、という配慮に他ならなかった。  出産の時だけでなく、入院中も義母は何度も来てくれた。  妊娠中に風邪をひき発熱した時も、夕御飯の材料を担いで家に来てくれた。  新居への口出しも、新居選びの同伴も、「私が頑張らなくちゃ」と意気込んでくれていたからに違いなかった。  私は確かに、間違いなく、義母に救われていた。それを忘れて良い筈はなかった。  そして、その時その時の楽しかった言い合いや、和気あいあいとした雰囲気、幸せの色に染まっていた空気が、虚飾でなんかなかったことを、忘れていい筈がない。  それを、義母の優しげに微笑む顔の前で、一つ一つ思い出し、確認していきたかった。  彼女への疑念とも向き合いながら。    孫の成長も確認せぬまま、急逝した義母。  もしも彼女がもう少し長く生きてくれたら、私たちはもっと判り合い寄り添えたろうか。  それとも、断絶にまで至ったろうか。  拗れきって、憎しみ合ったろうか。  写真の前には、小さなアラレ。  私の頬に、涙はない。  おかあさん、ごめんなさい。  おかあさん、ありがとう。  おかあさん。  好き、でしたよ。  でもおかあさん、酷いです。  おかあさん、苦手でした。  でも、おかあさん。  もう少し、チャンスがほしかったです。  もっとチャンスを活かせば良かったです。  おかあさん、今日もみんな、元気です。どうか幸せを見守っていてください。  おかあさん、私は 終
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