9人が本棚に入れています
本棚に追加
義母が私の生活やイベントに積極的に関わってくれたのは、私に『母』の助けや支えが見えなかったためだろうことは、想像に難くない。私が淋しさや不安を抱えているのではないか、という配慮に他ならなかった。
出産の時だけでなく、入院中も義母は何度も来てくれた。
妊娠中に風邪をひき発熱した時も、夕御飯の材料を担いで家に来てくれた。
新居への口出しも、新居選びの同伴も、「私が頑張らなくちゃ」と意気込んでくれていたからに違いなかった。
私は確かに、間違いなく、義母に救われていた。それを忘れて良い筈はなかった。
そして、その時その時の楽しかった言い合いや、和気あいあいとした雰囲気、幸せの色に染まっていた空気が、虚飾でなんかなかったことを、忘れていい筈がない。
それを、義母の優しげに微笑む顔の前で、一つ一つ思い出し、確認していきたかった。
彼女への疑念とも向き合いながら。
孫の成長も確認せぬまま、急逝した義母。
もしも彼女がもう少し長く生きてくれたら、私たちはもっと判り合い寄り添えたろうか。
それとも、断絶にまで至ったろうか。
拗れきって、憎しみ合ったろうか。
写真の前には、小さなアラレ。
私の頬に、涙はない。
おかあさん、ごめんなさい。
おかあさん、ありがとう。
おかあさん。
好き、でしたよ。
でもおかあさん、酷いです。
おかあさん、苦手でした。
でも、おかあさん。
もう少し、チャンスがほしかったです。
もっとチャンスを活かせば良かったです。
おかあさん、今日もみんな、元気です。どうか幸せを見守っていてください。
おかあさん、私は
終
最初のコメントを投稿しよう!