誕生日

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 私は、多分、そこから抜け出したい気持ちがあっただろうと思う。それを否定することはできない。  ただ、年齢を考えれば結婚するには遅いくらいだった。  今まで母の自尊心に頑張って付き合ってきたんだからもういいでしょ、という思いもあった。  しかし、母にとっては全くそうではなかった。  自分一人に祖父母を押し付けて出ていくのかと怒り心頭で、着々と進んでいく結婚の話になど耳を貸さない。両家顔合わせの時も、「(相手方に)私は死んだと伝えろ」と狂人のような台詞を吐き、頑として家からでない。  結局、式も披露宴も挙げられなかった。  披露宴は、義両親にとって一人息子の晴れ姿を見る舞台であり、立派な息子を送り出す親として自らも主役となれる舞台だ。それを私の側の我が儘でふいにしてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だった。  そんな中、義両親は私を慰め、母すら労ってくれ、私は本当に頭が上がらなかった。  私の中でわき上がる母への苛立ちを散らすように、明るくおどけてくれる義母の優しさが、温かかった。  長女を出産した時も、私の両親は病院に来なかった。 「後から(赤ちゃんを)見せに来てくれるんでしょ?病院にわざわざ行く必要はないよね」 という理屈だった。  私は、出産前にも入院していた。切迫早産の診断が下り、正産期までの3ヶ月を絶対安静の状態で病室にこもっていた。  この時も、母は来なかった。  病院にいるなら安心、とのことだった。
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