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 おそらく、全うに生きるためには、何かを犠牲にしなければならない。例えば、将来の夢がプロ野球選手だったとしても、それが自分の就職先になるとは限らない。夢打ち砕かれるときはいつかやってくる。その時にすんなりと捨てなければならない。  生きるということはそういうことだ。でも、そんなすんなりと受け入れられるほど人間は簡単ではない。    そう、僕は生きることを知らなかったんだ。分かったふりをしているくらいのほうが、幸せだったのかもしれない。知ってしまったら、もうその記憶を一生消せないのだから。  教室には僕と酒井さんだけしかいなかった。みんな講義が終わった瞬間にポップコーンのように弾けていった。  西日は僕の頬を赤く染めた。酒井さんの顔は逆光ではっきり細部までは見えない。    それでも、酒井さんがいつものような落ち着いた雰囲気ではないことを感じた。あれは誰かを狩るときの目だ。    そう、僕はよく知っているはずだ。だって、僕の目とそっくりなのだから。 「私ね、ずっと誰かのことを観察していたの。別に、決まった何かがあったわけでもないけど、そうやって観察していくうちにあなたに行き着いたわ」  いつものようなたどたどしい口調ではなかった。はっきりと言い切り、蔑んだ目をしていた。 「どういう意味だい?」  僕は知らないふりをした。 「あなたは私と同じ人間だってわかったという話よ。いわゆる、世の中のバランサー。飲み会でもそうだったでしょ? 私がいつもと違えばそれに合わせる。愉しむのは自分ではなくほかの誰かであるように仕向ける。そして、自分に面倒事にならないように組み替えていく。さぞ、自然におきたように……ね」  僕は内心びくびくしていた。まるで隠していたエロ本が見つかったような背徳感すら湧いてくる。  今回だけはいつもとは違って、相手の意図に歯向かおうとした。酒井さんがどれだけ自信を持っていても、僕が認めない限り話は前に進まない。
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