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バスの車体が音を立てて縦に揺れた。目をつぶっていた僕はゆっくりと目を開ける。おそらく、石か何かを踏んでしまったのだろう。
もう一度、目を覚ますように瞬きをしてから、目の前を見つめた。そのとき、僕と僕は目があった。声が口元から漏れそうになったのを抑えて、目を逸らす。
まだ、この時間は明るいと思っていたから油断していた。つり革を握っている手に力が入る。
確かに黒いジャンバーを着て、青いジーンズを履いた青年は立っていた。窓の向こう側には、いつもの街並みは広がっていなかった。黒いカーテンで閉め切られていた。
僕はこんな当たり前なことに対して、心臓の鼓動を早くさせていることに呆れて、思わず笑ってしまった。
笑った表情を隠すため俯く。
僕は別な感情が目から入ってきた。目の前には、もう、八十歳を超えているだろう夫に妻は流暢に話しかけている。それまた向こうでは、周りの若い人たちに後れをとらないと、眉間にしわをよせながらスマホをいじっているおばあちゃんがいる。
僕はこの人たちも今を生きているのだと初めて知った。いや、いつもこういう光景は自分の目の前に広がっていたのかもしれない。でも、そのことに気づいたのは今だ。
「終点、中住駅、中住駅」
そのアナウンスに自然とバスの中に一本の列が作られ、ICチップが反応する音だけが車内に響き渡り、ときどき小銭が入れられる音も混ざる。
僕はこのバスを降りて、地下鉄に乗り換える。
ほんの少しだけ外の空気を吸った。喉の奥に突き刺さるような冷たさだけが残る。そして、白い息を吐く。
ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。時刻は十九時前を指していた。地下鉄が来るまでもう少し時間があるからゆっくりと歩き出す。
前に女子高校生が三人横に並んで歩いていた。そのまま、地下鉄の乗り場へと向かうエスカレーターに消えていく。僕もその後ろに続く。
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