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時は江戸初期、
寛永(かんえい)十四年十月二十五日(1637年12月11日)
九州肥前(長崎)島原半島と肥後(熊本)天草諸島には、
重税による百姓一揆と弾圧されたキリシタン。
更に大坂の陣の豊臣残党も混ざり合い、
反徳川の一大勢力が原城に結集した。
そして制圧に乗り出した幕府軍には、
あの日本一有名な剣豪も参戦していた!
「百姓ども!この宮本武蔵に勝てるかぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」
そう!あの宮本武蔵である!
五十七歳と老いて白髪と皺が目立つが、
厳しい鍛錬と激戦を潜り抜けて、
はだけた上半身は傷だらけながらも、
若い頃以上に筋骨隆々としている。
巌流島に於いて佐々木小次郎の備前長船長光こと、
物干し竿と呼ばれる長刀に対抗すべく、
船の櫂を削り出した木刀を使ったのだが、
この島原の乱に於いては更に発展させている。
なんと自分の身長より太い屋久杉を、
刀で斬り倒して持ち手は削り、
長さ三丈(15.5m)もの丸太木刀を右手に持って、
一揆軍目掛けて振り回している。
おまけに勝って叩き割った宝蔵院胤舜(ほうぞういん・いんしゅん)の十字槍や、
勝って叩き割った宍戸梅軒(ししど・ばいけん)の鎌や、
勝って叩き割った辻風典馬(つじかぜ・てんま)らの刀の破片を乱雑に刺し、
釘バットの大将の様な代物に仕立て上げている。
左手には佐々木小次郎から奪った備前長船長光に、
皆殺しにした吉岡一門数百人分の刀を合わせ、
関の刀匠達に打ち直させた巨大刀を持っている。
更に馬の代わりにヒグマより巨大なツキノワグマ、
熊門に乗っている。
これは熊本は加藤清正が隈本を武将ぽい熊本に改めたが、
別に九州に熊は居ないと聞いた武蔵が、
養子の宮本三木之助、伊織らと本州で捕獲したツキノワグマを、
独自に鍛え上げ育て上げたものだ。
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