無意味な独白

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 わたしは、わたしがしたことを問責された結果、死ぬことになった。ここは彼らの理論――彼らの言うところの法――に従わざるをえない世界なのだから、これが当然の帰趨であることは馴染めなかったわたしにだって分かる。  死ぬのが怖いわけでも、まして怖くないわけでもない。ただ、数時間後には投与された薬物によってわたしの心臓が働きをやめるというだけのこと。それ以上の何かをその事象から見出そうとすることに意味はない。「わたしの死」という情報と、それに付随する情報(あらゆる棘を削ぎ落とされ、歪曲され、恣意的な方向性を与えられた別の何かに変貌しているに違いない)が愚衆に届けられることはあるだろう。けれどそれは、わたしのいなくなった後の世界のことであって、このわたしの知ったことではない。  わたしは人を殺した。  なぜか。そう問われたとき、わたしは「それは太陽のせいだ」と言った。すると、それを聞いた人たちはみな顔をしかめるか笑うかといった反応を見せたあとに、決まって同じようなことを反問した。 「昔の名作を読んで影響でもされたのか?」  無知――それが何モノかの定める常識とやらを知らないという意味ならば――なわたしは、その言葉が皮肉であると分からなかった。それから、弁護人やら何やらと話をさせられ、テレビやら新聞といったメディアに載った自分の記事を目にしたことで、彼らの言ったことの意味がようやく分かった。  どうやら、わたしの発言がカミュというフランス人作家の、古典的名作と世間(この言葉もなんとも使い勝手の良いものか)では認識されている『異邦人』なる小説の有名な一節そのままだったことからくる皮肉だった。らしい。  わたしの目にした限りのどの媒体も、わたしの名前と『異邦人』という作品の名前を並べていなかったものはなかった。聞き及んだところによると、わたしが見知らぬ女を殺したことが発覚した翌週には、その小説の売上が爆発的に伸びたのだと。発表から百年が経とうというのに、今更売上が伸びるというのも、彼らの論理に照らし合わせればおかしな話ではある。「名作」と「世間」では認識されているはずなのに、売上が伸びたということはそれだけ読んでいない連中が多かったということ。これを機に買い直したという輩もいるだろうけれど、それだけで二週連続で売上が一位になるということは考えにくい。そう、彼らは考えるだろう。
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