第一章 夫婦

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 陽が昇り始めた江戸の町を、与四郎が歩いている。  お沙のいる家へ向かっている。  昨晩、ひとの髪で筆をつくることを思い立ってから、ろくに眠れなかった。  すぐにでも実行してみたいと思った。  この思いつきがうまい方向に進めば、吉井が死んでしまったいまでも、なんとかやってゆける。  だが、もし駄目だったら―― 「とにかく、いまはやってみるしかない」  与四郎は自分に言い聴かせるように呟いた。  並ぶ家々からは、朝飯の良い匂いが漂ってくる。  その匂いにつられたのか、与四郎の腹が鳴った。  江戸の町に、朝が訪れていた。  *****  与四郎が帰ると、お沙が朝飯の支度をしていた。 「おかえりなさい。こんなに朝早く、どこへお出かけになっていたのですか」 「髪結い床ヘな。良吉のところだよ」 「あぁ、やはり良吉さんのところでしたか」  お沙も、良吉のことは知っている。 「話をつけてきた。切った髪を分けてくれるそうだ」 「そうですか。――与四郎さん、本当に髪でつくるおつもりですか」  碗に飯をよそいながら、お沙は訊いた。 「動物の毛でつくれるのなら、ひとの毛でもつくれそうではないか」 「ひとの毛なんて、あまり良い気はしませんが――」 「手段を選んでいる場合ではないよ、お沙。やれることから手をつけていかないとだ」 「えぇ――」 「安心しろ、お沙の髪をもらおうなんて思っちゃいないよ」 「―――」 「おれは、飯を食べたら良吉のところへ手伝いにゆく。そうだお沙、忍はどうだった? 昨夜、訊きそびれてしまった」  与四郎の言葉に、お沙の手が止まる。  脳裏に、忍の見開かれた眼が浮かぶ。 「お沙?」 「あの、えっと‥‥変わらずでしたよ、忍さん。動きまわることはできなくても、起きあがってご飯を食べるくらいならできると思います」  忍との間に起きたことは言わなかった。  吉井が亡くなり、忍は気を病んでしまっているからだと、お沙は思った。 「そうか。吉井のあとを追って命を絶たれても困るからな。お沙、もうしばらく忍の面倒を見てやってくれ」 「――判りました」  信頼の眼差しを向けてくれる夫に、お沙は繕って微笑んだ。
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