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二、
与四郎は武家の生まれだった。
帯刀が許された高い身分だったが、与四郎が五歳の時に流行り病により家は断絶した。
唯一、生き残った与四郎は遠縁の家に預けられた。その家には子どもが無く、与四郎は喜んで迎えられた。
その義父の生業が筆づくりであった。
与四郎は義父の言うことをよく聴き、仕事を覚えた。
与四郎が三十歳を過ぎてようやく妻にお沙を迎えると、義父は亡くなった。
そして、夫婦ふたりで慎ましく生活している。子どもは無い。
お沙は絵を描くことが得意であった。
与四郎がつくった筆の軸に、お沙が絵を入れる。とても美しい筆をつくった。
普段は装飾などしないのだが、お沙がたまに絵を描く。
この、たまにつくる装飾の筆が評判になり、たくさん注文を受けるようになった。
だが、与四郎とお沙は、この筆をつくる頻度は変えなかった。
軸に絵を入れる分、時間がかかる。
この筆の値段は通常のものよりも張る。
この筆をたくさん売れば、苦労することなく生活できるが、与四郎とお沙は金のために筆をつくっているのではなかった。
代々受け継がれてきた伝統を守り、ひととの繋がりを大切にしてゆく。
その想いが夫婦の中にはあった。
筆づくりに必要な材料は、先代からの誼よしみの家が調達してくれている。
自分たちがつくりたい筆をつくり、納得のゆくものを提供する。生活は裕福ではないが、夫婦ふたりで質素に暮らせるだけの稼ぎはある。
夫婦に子どもが無いことを、ふたりは特に気にしなかった。
筆づくりが出来る、今の生活を楽しんでいた。
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