ある出会いとある別れについて

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「言葉そのままの意味だよ。僕はある時小説を書かなくてはいけないと感じたんだ。高尚な文学論だとか特定ジャンルへの情熱だとか、そういうのとは無縁なんだ。ただ湧き上がってきた感情のままに僕は原稿用紙を箱一杯に買い込んで、横浜の文具店で万年筆を買った。僕にもよく分からないんだ。どうしてこんなに小説を書くことに溺れているのか」  彼はそれだけ言うと、もう何も語らなかった。  僕は彼が万年筆を走らせている音を聞きながらぼんやりと夜まで彼の部屋で過ごし、七時をまわったあたりで何も言わずに部屋を出た。  それが僕と彼の繋がりだ。  話が前後するのだけど、彼と出会った時のことを語ろう。  彼と出会ったのは、ある飲み会の席だった。  当時僕は大学で文芸サークルに所属しており、よくサークル仲間と共に文芸に関心のある人間が集まる酒場に出かけていた。  雨の夜だったと思う。コートに着いた雨粒を払い、僕はカウンター席に座った。電車が遅れているらしく、サークル仲間は三十分ほど到着が遅くなるとのことだった。  僕はウイスキーを注文し、ちびちびちとなめていた。  かすれた声が奥の席から聞こえた。最も壁に近い席だ。  彼は壁に頭をもたせかけ、古い歌を口ずさんでいた。  なぜか僕は彼に惹きつけられた。よれよれの服と、うっすらと青みがかった髭。そして、古い歌を口ずさむかすれた声。そうしたどこか文学じみた姿に魅力を感じたのかもしれない。  僕は彼の隣に移動し、声をかけた。 「こんばんは」     
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