後編「雷人」

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彼女は目を見開き、その帽子を凝視していた。見る見るうちに顔が青ざめて行く。ラグを握る指先は力が入りすぎて、白くなっているくらいだ。 かわいそうに。でも、あと少しで終わるからね。 「そう、二年前森島玲奈がかぶっていた帽子だ。僕が覚えている限り、あの旅行以来この帽子は一度もかぶられていないはずだ」 彼女の膝の上に置かれた手に載せてやろうとするも、彼女は掴もうとすらせず古い帽子は上掛けの上に所在なく放り出された。僕は苦笑して、元の場所に座り直す。 「これから話すことは、少々僕の想像も含まれているんだけどね」 二年前の夏休みを思い出す。四人の子供達が「森」に迷い込んだこと。それが全ての始まりだった―― 「あの夏、森島家と天野家は一緒にシンガポール旅行へ行った。高めのホテルを予約してそこのプールで皆してくつろいだり、動物園ではしゃいだりして、うん、とても良い旅行だったよ。 事が起こった、いや、事を起こしたと言うのかな……とにかくそれは旅行の最終日のことだった。帰りの飛行機が深夜の便だったから、最終日とはいえ日中はたっぷり観光に充てることができた。それで僕ら二家族はその日をマリーナベイ・サンズで過ごすことに決めた。マリーナベイ・サンズっていうのは、ホテルだとかショッピング・モールだとかいろいろな施設の入った、シンガポール屈指の人気の観光スポットだ。旅行で行ったことは思い出せなくても、お前もテレビで見たことあるんじゃないかな。ボートみたいな展望台の乗っかった面白い形のビルがよく映されているよ。 そこの広い広いショッピング・モールで大人達はお土産を探したりブランド品を選んだりしていたんだ。買い物は旅行の楽しみの一つなんだろうけどさ、当時の僕ら子供にとってみれば何が楽しいのかさっぱりわからない。人も多いし、服とか時計とか鞄ばかりで走り回ったりもできずすっかり飽き飽きしていた。で、子供達だけでマリーナベイ・サンズから歩いて行けるガーデンズ・バイ・ザ・ベイに遊びに行くことにした」
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