其の一、鳳蝶と云う少女

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からり、からり、石を打つ下駄の音に視線を巡らせれば、母屋の横、朽ちかけた片袖垣の陰から一人の少女が出て来るのが見えた。流行りの束髪に結い上げた黒髪は烏の濡れ羽色をして、まだ邪気(あどけ)なさの残る少女を清楚ながらも艶やかに仕立てていた。 ほっそりとした白い腕が、品の良い薄紫色した着物の袖からすうと伸びて、なんの躊躇いも見せずに、爪楊枝の様に儚げな枝を折り取った。未だ青い梅の枝には、ころりと丸い幾つかの蕾と、開ききった白い花が一輪ついていた。 「きみは」 少女は驚くことなく顔をこちらに向け、然し垣根のすぐ外に立つ冴えない男を、今初めて認識したとでもいうような風に、目を瞬(しばた)かせた。 「こんにちは」 「あ、ああ。こんにちは」 「私におっしゃったの?」 「うん、その、見かけない顔だと思って、その……」 「鳳蝶(あげは)というの」 言葉運びに幼さの残る、愛らしい声音だった。鳳蝶と名乗った少女は、枝を折り取った格好で止まっていた腕を胸元へ下ろす。梅の木の半分と迄は言わないものの、かなり小柄な方だろう。 「何処から来たんだい」 「東京よ。処で、貴方のお名前は?」 首を僅かに横へと傾けて、鳳蝶は尋ねた。 「僕はこの先に住んでいる、弓削夏生という」 「夏生さんと仰るのね」 背伸び気味の上品な笑みを浮かべてみせた少女の健気さが夏生には新鮮で、とても好ましいものに思えた。
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