18人が本棚に入れています
本棚に追加
アカサタ!
高卒で政党の党員でもないドンちゃんが、政教分離も厳しい中、民主主義に事寄せて政治言論してみるというお騒がせです。
日本国憲法の最低限度の基本的人権から、平均限度の標準的人権(=基本的人権+幸福権+参政権+民族権+中立権+史族権)にまで移行する、幸福(環境の相対性、心の絶対性の双方から成る)の為に、自己の欲望に驕る事なき少欲知足で、満足すべき健康的な衣食住(衣服装・食生活・住環境)に社会的・生産的な集会等や財を合わせた、条件ではなくて根本の家庭事業の五源が、人生や生活規模の大小や暮らし向きの色々な時期は有れど、国民的に自覚しておく幸福権ややがて成人になり得る事が出来る、参政権や中立思想や史籍を持つ史族権の大事として有り、特に心の絶対性から成る絶対的幸福境涯を得る事は、困難度合いも高いだけに大切です。
騙されないように、絶対に悪事で得てはいけません。信心即生活です。
衣食住でチェックする身嗜み・滋養・安らぎなどはおなじみですが、会とは消費者(事費者)の集会や自治会やら創価学会のように正しい宗教(人間の中へ)を信仰する内での共生・協和の文化交流の会合に向け、充実した社会参加での報恩感謝としての会、また納税や史益法人(宗教法人が折伏された後の姿)の支援する史主会を中心とした史益法人事業、家庭事業から成す衣食住等の事費収支活動(倫理的に好感の持てる株式法人などに対する支出や就務収入)の事で、学校法人や医療法人にも一つ一つ参加意識を持って、利他や健康に心がけて生きるのと、財は蓄えたり施したり投資あるいはそのままに財産の事で、自動車などはこちらです。
職業(就務)の理念と参加する社会への意思が統合されていると、一念を傾けやすく、尚の事幸福が間近です。理解され幸福省の根本になります。
創価学会に入っている事では、異体同心で幸福を決したりもしますので、青年達に良いご縁がありますよう日々祈っています。
人類全体での幸不幸を思えば、正しい宗教社会は心を大切にしての少欲知足社会である事だと感じますし、そこにこそ他者に同苦しての行動をなし、共に生きる上での苦楽という実感がまず持てるものです。
他者の苦へ向けて抜苦与楽したり、利他という菩薩の善行為により、暮らしに情緒が目に見えて具わり心が安定し、喜びを感じる。
心が安定していると幸福を求める際に原則不忘とて、苦難の節を乗り越える力をいだせるのです。
そんな風に仏法では抜苦与楽の利益・六根清浄の功徳がいただけて、幸福も近づく。
さて家計の予算はこれらの信心に併せて五分しての五源の意義を予算と心得て、健康で文化的な生活を立脚、会からは他にも幸福の要素を考えてそれを充足し、自他共の幸福を得ましょう。
ベーシックインカム&ライフチットはそんな中から出現してくる。
最も物要りそうな住生活は、日本京都着倒れや大阪食い倒れのように、アメリカでは住まい倒れとしても現れていました。
会倒れは日本の一県内での多発はまだ見あたらず、しかし留意しましょう。
それから幸福に付き物の愛とはやはり心の問題で、幸福五源の活用形でもあり、家族愛やその中の夫婦(大体が世帯主・副。祖父母がお手本の家庭の場合もある)という格別なパートナーシップもそこから湧いてきます。
心を込めて愛を活用していますと3Dのように源から浮き上がって顕され、大方は幸福の方から愛に作用しているのでありますが、前後して現れる事もあります。
愛は幸福をよく覚えていて、そこから分離し複雑になり更なる有形化や、自己一身から出て家族や友人の心の機微などを求めますから、その投与先としての幸福五源に、愛の要素の健康や平和や教養や就務(家庭事業外の勤労)などを投与しゆく事になり、それらの有形化を含めてライフチット(ベーシックインカムに近似した仏教の性善説に基づくべき収入からの一生涯年金を兼ねた所得分配)ある報奨世界の家庭事業を根源とした、子宝の第0次創価形産業(ゼロ産業)とします。
家庭事業は愛と喜びの生活の合間に、子宝をもうけて育むゼロ産業側面が有ります。ゼロ産業とは暖かい愛情を求めて得れて、社会に展開して新しい喜びとして実感、二元的なそこでは工業のような機械化を求めるなどはゼロだという意味で、それを意識して生産を成すのは子宝感からですが、やはり大量生産にはならず、なのでゼロ産業と銘打ち、現代のちょっと未来では高校の家庭科(もしくは生活情報科学科)という教科で教育を受けてもらうもので、学校のみでなく直に家庭での家庭教育も外せません。
子宝のゼロ産業専門なら、生活産業部家庭事業科(もしくは生活情報科学科)という所でしょうか、ゼロだけに妊娠から出産までの経費が払い戻していただける政治などを男女の別無く学びます。
これが私の思う栄える国民の幸福と愛有る教育の原形です。
種々満たされれば最大幸福(絶対的幸福満載=成仏)に少しずつ近づきもしますが、苦しむ民衆の様子にも気付きます。
そして自身から周囲に幸福のお裾分の意志が定着し、何度も言いますが愛をも含むそれを利他といいます。
喜捨もその意志の内です。
最初のコメントを投稿しよう!