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その時の俺は、自分の置かれた立場に亀裂が入り、どうしてよいかわからず、ただただ悩み焦り、塞ぎ込んだ。 いつかはこういう日が訪れるとは思ってはいた。 生きている以上、いつかは死ぬ時がくる。 ましてや高齢であるとなれば、なおさら意識しないわけにはいかない。 頭では理解していても、いざその現実を突きつけられると、何もできずに目をそらしてばかり。 ただでさえ稼ぎがないところに勃発した、家庭環境を劇的に変える問題。 これからこの家はどうなってしまうのか。 自分の将来は? 結果から言えば、親父は一命をとりとめ、危ない状態は越えた。 これで退院してめでたしめでたし、そんな超楽観論は、すぐに吹き飛ばされる。 歩行困難。 自力で歩くのが難しくなってしまい、長期リハビリを兼ねた入院生活。 俺としては肺炎よりも、こちらの方がショックが大きかった。 自分の足で歩けなくなる、身内から障がい者が出てしまった。 テレビ等でたまに目にする障がい者らのドキュメンタリー、あれがまさか身内に降りかかるなんて…… それからの数ヶ月で、身内に障がい者がいるリスクとやらを、ほとほと思い知らされる。 病院という場所は、大体ある期間で強制的に退院させられる。 それもあって親父は家に戻り、自宅介護の身となったのだが、間もなく自分で歩こうと無理して足の骨を折り、再入院。 自分介護の難しさを痛感させられ、介護施設を見つけて、入居させる事になったのだが、月々の料金の支払いが高く、頭の痛い問題が次から次へと降りかかってくる。 そうなると、負のスパイラルから抜け出すのは非常に厳しくなり、今度は施設で肺炎をぶり返しての三たびの入院。 少しでも金銭面の負担を減らそうと、おふくろは再び自宅介護の受け入れを決意。 正直、俺は乗り気にはなれない。 なにしろ前に親父が戻った際の介護ときたら、愚痴と罵倒のオンパレードだった。 その時の記憶が鮮明に残って体に染み込んでる身としては、またあの環境下になるのかと、ため息。 何とか妥協点を見つけられないか検討しても、先立つモノも限られてるため、思い切った行動に踏み出せず、ジレンマに陥る日々。 そしていよいよ訪れた、親父の二度目の帰宅。 前回とは違い、完全に歩けなくなった親父が加わった家庭環境は、荒れた。
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