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風呂から上がると、部屋には夕飯が運ばれて置かれている。 現在の介護生活になってからは、格段に弁当の類いが増えたが、文句も言わずに黙々と1人で食べるのが日課となっていたが、この日はなぜか運ばれてきてはいなかった。 もしかしたら帰ってきているのに気がついていないのか。 年の割にはやたらと耳がいいから考えづらいが、ありえない話ではない。 とはいえ、こちらから呼びかける事にためらいを覚える。 この数年、親子間の会話は劇的になくなり、赤の他人同士が同じ屋根の下で暮らしているような状態なのだ。 とりあえずわざとドアを開け閉めして物音を立ててみる。 数回繰り返しても変化がないのを確かめ、さらに大きな物音を立てる。 ……………………が、それでも何の変化も見られず、俺は初めて不安を覚える。 部屋から出てそっと様子をうかがってみる。 おふくろと親父がいるリビングとキッチンはしんと静まりかえり、物音一つ聞こえてこない。 まるで人など誰もいないかのように。 寝ちまってるのか? そんな考えを浮かびながら忍び足で歩く俺の背後で鳴り響く、洗濯機の終了音。 耳障りな音は機械の金切り声みたいに聞こえ、大概は気がつくものだが、それでも奥からおふくろやら親父が動く気配は感じられない。 ドアに手をかけて、キッチンのドアを開ける。 蝶番が軋み、キイィと響く音が立つ。 キッチンには誰もいない。 それに料理の匂いもなければ、弁当の包みも見当たらない。 それが俺の脳裏に不気味な連想をさせる。 おふくろが夕飯の準備をおこたった事などあり得ない。 毎日の日課は当たり前に繰り返されてきて、それを当然のように俺も繰り返してきた。 何かあったのか? 夕飯の支度をできぬような、突発した何かが…… キッチンのすぐ脇に、リビングへと続くドア。 そこを開ければ簡単に室内の様子を確かめられる。 ……だが、なかなか開ける勇気が起きない。 中にいる事がわかっていて、自分から開けるなど、ここ十数年記憶にない。 親子が何をしているのかと思われるだろうが、一度こじれた隙間を埋めるには、相当な努力を強いられるわけで…… ……とまあ、そんな事を言っている場合でもない。 今日、この瞬間に起きている異変は明らかにおかしい。 何か、俺の知らぬ間に、何かが起きた可能性が高い。
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