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「なるほど。どうやら俺は君を見くびっていたようだ。思ったより君を落とすのは手を焼きそうだね」
「そのことだけど」
私は鞄に手を伸ばし、野々村君の名刺を取り出すと彼に返した。
「あなたとの勝負、辞退させていただくわ」
彼は名刺を手に取ると、目線を上げて訝しげに私を見る。
「大口叩いていた割には尻尾巻いて逃げて、自分の負けを認めるの? 拍子抜けなんだけど」
「あなたは負けるのが怖い?」
「別に怖くもないし、負けるつもりもないよ?」
私の質問に彼はますます怪訝そうな表情を見せる。
「そう。私は負けるのが怖かった。負ければ自分がこれまで守ってきた信条を覆されるのかと思うと怖かった。でも、気付いたの」
「気付いた?」
「ええ。負けるのが怖いと思うのは、それだけ自分が真剣に向き合っているからなんだって。そしてそれは私に真剣に向き合ってくれる相手がいたからだって」
「……要のこと?」
私は小さく頷いた。
そもそも、どうして私は勝とうとしたのだろう。いつも真っ直ぐに気持ちを向けてくれる真上君に、どうして素直じゃない自分が勝てたというのだろう。
「勝敗より何よりもその過程に、真摯に向き合ってくれる相手なら。この人になら自分の世界観が全てひっくり返されたとしてもきっと後悔なんてしないって、そう思える相手なら」
たとえ負けてでも、自分の気持ちを伝えたいと思える相手になら。
「そんな人ならば、私は負けるのを恐れないわ」
目を見張る野々村君に私は少し悪戯っぽく笑った。
「だから私はあなたの言葉を素直に認める。馬鹿で臆病で、相手の気持ちを求めるあまり、ずるくて強かにもなる女性と何ら変わらないと認める。喜んで負けるわ。あなたにではなくて――真上君にね」
もしかしたらこんな自分に失望されたり、軽蔑されたりするかもしれない。けれど真上君に伝えたい。
「……し、いな」
彼はふと奥に秘められた感情が零れたように掠れた声で呟く。
けれどすぐに我に返り、いつもの余裕の笑みを浮かべてみせた。
「やっぱり女性はずるくて強かだよ。それに加えて、君はまるで中学生の思考だね。考えが甘くて夢見がちだ。とても理知的な大人の考えとは言えない」
「つまずいたのは中学生なのよ。そこからやり直しするのだから拙いのは当然でしょ?」
「本当に口が達者だね」
「お互い様です」
大きくため息を吐く彼に私はまた澄まし顔をした。
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