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「……乗客名簿にレジーの名を見たときには少し取材でもさせてもらおうかとも思っていたのだがな」
正面に腰を下ろしているパクが、体をひねりソファの背もたれに頬杖をつきながら窓の外を見てつぶやく。
僕は思わず「レジー?」と聞き返した。
「……無学だな。例え興味はなくとも世界的に有名なミュージシャンの名くらいは知っておきたまえ」
ヨランダを自分の所有物であるかのように振る舞っていたあの男の名はレジナルド・ジェイコブソン。
通称「レジー」と呼ばれる南アフリカ出身の有名なミュージシャンであるらしい。
パクが何曲か有名なタイトルを口にするが、僕はそれでもピンとこない。
そんな僕を心底バカにしたかのようにため息をついたパクの後ろから、ジェラルドが鼻歌を口ずさみながら姿を現し、そこで僕は初めてレジーの曲を認識した。
「……なるほど、その曲なら日本でもテレビコマーシャルでよく聴きます」
「そりゃあよかった。まぁワシもたまたま知っとっただけじゃ。曲を知っているのと歌っているシンガーを知っているのは、また別の話じゃからな」
神妙な面持ちのまま、第一発見者のジェラルドが僕の隣に腰を下ろす。
元海兵隊出身で今は警備会社に勤めていると自己紹介した筋肉質な老人は、「曲の素晴らしさとシンガーの人格も、また別の話のようじゃしな」と、ペットボトルのコーヒーをすすった。
意味ありげなジェラルドの言葉に、僕たちは思わず視線をレジーとヨランダが消えた部屋へと向ける。
僕たちの見ている前で、小さく音をたてて開いたドアからヨランダが現れた。
「ヨランダ……?」
声をかけた僕から逃げるように、彼女は赤く腫れた頬をハンカチで押さえ、乱れた襟元と顔にかかる髪を整えながら、奥のパウダールームへと漂って行く。
思わず追いかけそうになった僕の肩をジェラルドが押さえ、首を横に振った。
「落ち着くんじゃ。あれは他人が口を出す問題ではない」
「ああ、お前がレジーの彼女に対して倫理的に正しくない恋慕でも抱いているのでなければな。……わきまえろ、日本人」
そう言われてしまえば僕も何をすることもできない。
モヤモヤしたものを感じながらも、僕たちは他愛無い会話を少しだけつづけ、それぞれの部屋に戻った。
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