柔らかな哀しみが満ちる場所で

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「………セシリア、」 男がぼそりと呟いたその言葉に指が跳ねる。虚空を掴んでいた右手を左手で包み込み、胸の前でぎゅうと握りしめた。胸が苦しい。心臓はもう動いていないというのに。どうしてこんなに胸が痛むのだろうか。 瞳を固く閉じて眉間に皺を寄せる男の横顔を、すぐ横から見つめる。男の首には、かつて女が着けていた指輪がチェーンに通してつけられており、男はそれを右手で握りしめていた。その右手にそっと手を伸ばす。男の身体をすり抜けてしまう寸前のところで男の右手に手が重なるように手を止めた。 「……セシリア………セシリア………セシリア」 まるでその言葉しか知らないかのように、男はずっとその言葉だけを呟き続ける。固く閉じられた目の端から雫が零れた。緩やかに流されるそれは頬を伝うと静かに零れ落ち、真っ白な墓石に吸い込まれていった。 「なあに?」 「セシリア……セシ、リア………っ」 「わたしはここにいるわ」 呼び続けられる自分の名前に女は返事を返すが、勿論男には聞こえない。ぽろぽろと涙を零すのが見ていられなくてついつい男の目元へと指先を伸ばす。やはり涙を拭うことはできなくて、それがとてももどかしかった。
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