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「でも落ち着くと、言葉を選んで思ったこと話してたじゃん。熱くなってるとお互い会話にならないからって、いつも言葉を溜めてたお前の方が…ずっと辛かったんだろうなって思ってたよ」 どこか昔を思い出すように話す狩野の目が、少しばかり湿り気を帯びて映った。今、時生にそれができなくなったのはどうしてなんだろう。目の前の男と家で待つ男を、比べるでもなくただ浮かべた。 伊吹がそのまま黙ってしまったのを見て、狩野は慌てて言葉を繋ぐ。 「いやっ、俺らのことはいいんだけどな。旦那の方は?何か変わったりしてねぇの」 「…仕事でうまくいってないんだと思う。なんか最近、苛々してるのかなって」 あまり仕事のことで口は出さないようにしているが、気になって聞いてみたことがあった。けれど、曖昧に濁されただけで細かいことは話してもらえなかった。夫はすべて一人で解決しようとするから、たまに自分は必要なのかと疑問に思うことがあった。 そんな話をすると、狩野が鋭い声を上げる。 「それは、むこうが悪いだろ」 グッとグラスを握るように手の甲に筋が浮かんでいた。 「え?」 「相手に自分が必要かどうか悩ませるなんて、男が一番やっちゃいけねぇんだ。子供がいるから大丈夫とかじゃなくて、そうなったらもう男女としては破綻するだろ」 「不安になることなんて、そりゃあるよ。みんな人間だもん。時生がこっちのことまで考えられないくらい悩んでるときに、そんな話できないよ」 苦しくなって、伊吹は俯いた。狩野の言葉が胸に刺さって、それが当たり前な気がしてくる。自分がまるで、当たり前のことさえされない惨めな女になったような、そんな気が。 伊吹は、どんな時も相手のことを考慮して行動しないといけないと思って生きてきた。見える部分も見えないところも、環境も心も人は皆それぞれだから。そのすべてを知ることはできない。けれど、配慮はできるはずだと。 「だったら、伊吹の幸せはどこにあるんだ」 まるで自分のことのように狩野も辛そうに吐き出した。あぁ、私は今、彼のことも苦しめているのか。伊吹はもう、言葉を続けられなかった。これ以上、この場所にいてはいけないと思った。
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