バトンタッチ1

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バトンタッチ1

限界だった。 誰が何を言おうと、自分の限界はここまでだったのだ。 季節は夏。 蒸し暑さがじっとりと汗をにじませるその季節に、とある金持ち高校に通う青年が実家へと帰省を果たした。5月中盤から、はちゃめちゃとなった学園生活に嫌気をさしていたその青年は、帰省早々涙を流すほど、あの学園生活からの離脱を待ち望んでいた。故に、夏休みが終盤にさしかかると軽く鬱状態に陥っていた。 「どうしよう…いや、でも…」 外は30度を越える気温に包まれている。本来暑さが死ぬほど嫌いで夏はクーラーを使用しなければ発狂してしまう青年。しかし、夏休み明けの学園生活を思えば、暑さなんて後回しにしてしまうほど考え込んでしまう。 畳に寝ころんだ170㎝ジャストの体躯は、だらーっと力がぬけており生気は見あたらない。何気なく外に向けた視線と同時に窓際にかけられた風鈴がちりんと鳴き、涼しさなど感じられないこの蒸し暑さの中でも、風は吹いているのだと、ぼぅっとした頭で思う。 そして、再びわき上がる“イケナイ”感情。 「だから…それはさすがにダメだって…」 人として最低な行いだと、分かっている。 しかし、夏休み明けを思えば、青年は何度だってその感情をわき上がらせてしまうのだ。そして、今日何度目かも分からないため息を吐く。肺の奥から思い切り吐き出された吐息が、伸ばし続けいよいよ口元にまで達するほどの前髪をかすかに揺らした。 ちりん、と風鈴がまた鳴る。 汗ばんだ肌を玉となった汗が伝う。 暑さにめまいがする。 うつぶせになっているせいか、暑さのせいか、呼吸が心なしか苦しい。 浮上した感情を無理矢理押し込め、理性にあらがうように再び浮上する感情。感情というか、これはもはや企みでしかない。 あぁ、どうしよう。ダメだ。でも…。 何十回目の肯定と否定。 何十回目のため息。 何十粒目かの玉の汗。 そこで青年の何かが切れた。 なけなしの理性で食い止めていた企み。 蜘蛛の糸のようなそれが、ぷつりと。 それはそれは良い音を立てて。 「もういっかぁ!どーせ巻き込まれるのは僕の知らない人間だし、他人の人生なんてどうでもいいし、そんなもんより僕の心と体、つまり人生のほうが大切だしな!あー、そっかそっか!こんなに悩まなくてもよかったんだぁ!これで夏休み明けに待っているあの糞学園生活ともおさらば!巻き込まれるやつはドンマイ!僕はあれから解放される!ひゃっほう!!」 さきほどまでの死んだ目はどこにやら。 青年の瞳は生き生きと輝いていた。 さきほどまでの覇気のない声音はどこにやら。 青年は今まで出したこともないような明るい声で喜びの声を張り上げていた。 そして、青年は蒸し暑い部屋を飛び出し、長い長い廊下を走り本堂へ向かう。本堂の奥の奥。誰が作ったのかも分からない怪しげな部屋へ駆ける。 真夏の30度。 その暑さは、どこかに隠れてた青年のやる気をかりたたせていた。
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