バトンタッチ1

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夏休みも残り3日となった。 世の学生のうち一体どのくらいの人がこの時期に長期休暇に合わせて出された課題を終了させているのだろう。まだまだ真夏といえる気温が続く夏の蒸し暑さにむしばまれながら、一部の学生は徹夜で夏休み課題を終わらせる計画を立て、一部の学生は早めにすませた課題など気にせず残りの休みをどう満喫するか計画をたてているのかもしれない。もしかしたら、課題がおわっていなかろうと、残りの休みを思う存分満喫している学生も少しはいるだろう。 某市内に位置する公立高校に通う仲本義和は、夏休みもまだ終わっていないというのに朝8時を過ぎる頃には学校の門をくぐり抜けていた。なぜなら、義和はこの公立高校で生徒会長を務めており、己に課せられた課題は夏休みの課題だけでなく、生徒会の仕事もあるのだ。元々真面目な彼は8月に入るまでに夏休みの課題は終了させ、それなりに夏休みを満喫し、本日から与えられた役割を果たすために登校をしている。 夏休みだからといって学内に生徒がまったくいないというわけではなく、運動部を中心に部活動に励んでいる生徒を義和は廊下を歩きながらちらほらと校庭に見つけていた。自主練習であろうか。陸上部であろう少年が真剣なまなざしで前を見据え、スタートダッシュの練習に励んでいる。朝方で少し涼しいとはいえまだ夏。気温も高く、湿度も高い。そんななかで懸命に自主練習に励む姿は、義和を感心させていた。 頑張れ。 言葉にせず心の中でつぶやく。届くはずもない応援メッセージは義和にとってただの自己満足であり、とくに知り合いでもない彼に伝えるつもりもない。ただ、そう、自分も頑張ろうと思えたことに感謝したかった。 生徒会長、仲本義和。容姿もよく、成績優秀、運動神経よく、性格もまじめで付き合いやすい彼は、学校の生徒だけでなく教師陣にも人気があった。友人も多く、親友という間柄の友人もいた。妹がひとり、長男として生まれ、礼儀正しく面倒見もよく、そんな彼が人の信頼を集めることはたやすいことであった。 告白はされるものの、自らが恋愛感情を持ち合わせていない限り付き合うことはないため現在彼女なし。モトカノとは、よい友人関係を築き、典型的な“いいひと”と称される義和。 そんな彼は、生徒会の仕事を行うために、施錠された生徒会室の鍵を職員室へと借りに行く途中である。 「失礼します」 二回のノック、静かにあけられた職員室の扉。 夏休みの、こんな朝早くから誰かと職員室にいた教師の目が自然と扉に目を向けられる。姿勢良くそこにたたずむ義和を見て、教師陣は納得し、そして義和の目当てであった生徒会室の鍵を持って生徒会の担当教師がにこやかに近づいてきた。 「おはよう、仲本」 「おはようございます、広木先生」 広木貴之。生徒会の担当教師であり、数学教師である。イケメンには属しないものの、そのほんわかしたオーラとやさしげな口調で彼を慕う生徒は多い。授業も多く、心地よい声であるのに授業中に居眠りするものはだいぶ少ない。そんな広木を、義和が慕わないわけもなく、自然と笑顔を浮かばせた。 そんな義和を見て、広木はおや、と軽く首を傾げる。 「あまり顔色がよくないね?なにかあった?」 「あー…、昨夜はあまり夢見がよくなくて、ちょっと寝不足なんです」 やはり広木には気づかれたか、と義和は苦笑いを浮かべる。 本当に、広木はよく生徒を見ている。決して生徒数が少なくないこの学校であるが、広木は全校生徒の顔と名前を覚えているらしく、些細なことでも変化に気づく教師だ。そこも生徒に慕われる要因であり、放課後になれば広木相談室なんて呼ばれているカウンセリングが適当な空き教室で行われている。それ故、生徒会に顔を出す機会は少ないが、忙しいながらも毎日生徒会室に顔を出す広木。 生徒の間では、広木と義和はどこか雰囲気が似ていると言われていた。 広木もまた、“いい人”であった。 「そう。生徒会の仕事も大切だけど、一番は自分だよ。決して無理はしないでね」 「はい、ありがとうございます。先生も無理はしないでくださいね」 「あはは。うん、お互い様だね」 義和の言葉に笑う広木の顔色もあまりよろしくはない。おそらく夏期休暇後に行われる定期テストでも夜な夜なつくっているのだろう。 じゃあ、がんばってと手を振る広木に頭を下げ、義和は職員室を後にした。 生徒会室へと足を向ける義和は、昨夜の夢をふと思い出す。 奇妙な夢であった。今まで見た夢とは違う、奇妙な夢。 なにが奇妙かと言われればなんともいえないが、あえていうなら真っ白な夢だった。 真っ白な空間にたたずむ自分。そして、目の前に立つ義和の知らない少年。学校の生徒ではないはずだ。本当に見たことのない青年だったのだ。自分より身長は低いものの、彼と自分が着ている制服は同じものでうちの学校のものではなかった。鏡あわせのように自分と彼が手を重ね、彼が笑う。 とても幸せそうな笑みだった。 なにかふっきれたかのように、幸福に満ちた表情であった。 一体彼になにがあったというのだろう。 気にはなるが、不思議と言葉を発しようとは思わなかった。そして重ね合わせた手にほのかな体温を感じながら彼としばらく見つめ合ったかと思えば、なぜか目の前の青年は自分に対して謝る。 ごめん、と。 幸せそうな表情で謝られるのははじめてだった。 謝られる意味も理解できなかったが、続けられた言葉にさらに義和は混乱することとなる。 『だいぶ糞学園だけど、まぁ僕の将来を壊さない程度に頑張ってね!』 いい笑顔だった。 幸福そうな笑顔とはまた別の。 呆ける自分などおかまいなしに、青年は重ねた手を恋人つなぎでもするかのように絡め、そして一歩前に足を踏み出した。確かに手の感触があったのに、手は義和の手に溶け、体の中に青年がそのまま入ったかと思えば、ずるりと、まるで体の中から内臓だけが引きずり出されたような決して心地よくはない感覚にむしばまれる。 幸福な彼は目の前から消えた。自分の体の中に。 そこで、目が覚めた。 「っ、」 今思い出しても、あの感覚は気持ち悪い。 夢だというのに、やけに生々しくリアルな感じだった。二度と同じ夢など見たくないものだ。 それにしてもあの夢の中に出てきた彼は誰だったのだろう。そして、あの言葉の意味は…? 考えても分かるはずのない疑問に、義和はそっとため息をついた。 ******* 鍵を開けて入った生徒会室は外から差し込む日の光で、蒸し暑い空間であった。まるで、サウナのようで少し息苦しささえ感じる。 換気のために窓をあける。とたんに、吹き込む夏風がカーテンをゆらし、生徒会室の中央におかれたテーブルの上を散らかした。 「やべっ」 急いでテーブルにかけより、散らばった書類をかきあつめる。 秋には体育祭、文化祭、合唱コンクールなどの学校行事が目白押しだ。故に、生徒会の仕事は増え、書類も自然と多くなる。未処理の書類の束を見るとため息をつきたくもなるが、学生にとってこれら行事は楽しみでありストレス発散、青春の1ページとなるのだ。手抜きはできない。やるからには、みんなで楽しみたい。 最初は生徒会長なんて推薦されなければ御免こうむりたいものだったが、やってみればやりがいはある。生徒会のみんなも働き者で、楽しい面子だ。行事後のアンケートにいいことが書いてあれば顔は緩むし、反省点が書いてあれば次回の行事や来年の参考にしようと燃える。教師も協力してくれる。生徒たちも真面目にとりくみ、楽しんでくれる。 あまりにも良い学校すぎて、受験のときランクをひとつ落として良かったと過去の自分を褒め称えるほどだ。 かき集めた書類の端をあわせ、もとあったように重ねる。重し代わりにペン立てを置いて二次災害を防ぐ。 風通しをよくしたおかげで、さきほどまでの暑さもだいぶマシになった。そろそろ仕事にとりかかろうと会長席に座りパソコンを起動させる。 覚えているのはそこまでだった。
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