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薄暗い部屋の中央を陣取る、伝統的な絹織物が掛けられた祭壇。
赤や橙を基調とした美しい格子模様が、画面の明かりに照らされぼんやりと浮かび上がる。
静まり返った部屋に次々と鳴り響く通知音、画面上部に流れ続けるメッセージ。
祭壇上に置かれた携帯電話を見つめる眉間に、だんだん力が入っていく。
噛みしめていた唇を舐めると口の中に血の味が広がった。
口を開くのと同時に鳴った通知音が、小さな呟きをかき消す。
携帯電話の時計が示す時刻は23時57分。
いつもより早い鼓動が頭の中で大きく響いている。
あと3分……緊張で指先が冷たくなっていた。
息を吸い込もうとすると、大きく上下した胸のわりにあまり空気は入って来ない。
明日が今日へと変わるのを待って携帯電話をサイレントモードへと変える。
忙しく音を鳴らしていた携帯電話は、代わりにメッセージの到着をランプの点滅で知らせる。
その光から目を逸らし、祭壇に手を伸ばす。
乳白色の象牙で作られたナイフの持ち手はつるりとして冷たい。装飾の施された黒い漆塗りの鞘の元には、刃を飲み込むように大きな口を開けた真っ赤な龍が彫り込まれている。
強く柄を握って一気に鞘を抜き去り、裏返した左手首に木の葉型をした両刃の先をあてる。わずかな抵抗を感じた後、刃は皮膚組織を切断しながら内部に入り込んでいった。
恐怖か痛みか、震えが止まらない。
じっとりと掻いた手汗にナイフが滑り落ち、床にぶつかって鋭い金属音を響かせた。
傷口から溢れだした温かな血が肌を伝う。強く手のひらを握りじんじんと脈打つ痛みに堪えながら、なんとかナイフを拾い上げ、息を止めさっきよりも深く刃先を埋める。そして、そのまま一気に手前に引いた。
それを繰り返すと堪えきれず声が漏れ出てしまう。醜く耳触りだと言われる声が。
反射的にナイフを持った手の甲を口に当てると、サビ臭い血の匂いが鼻を刺した。
ここでは押し殺す必要もないのに、体に染み付いてしまった癖は消えることはない。
でも、もう声を発する必要もなくなる。そう思うと、不思議と安堵感に包まれた。
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