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 カップにまだ残っているコーヒーとクリームをスプーンで混ぜていると、先生が咳払いをひとつした。 「先程、仰ったことですが――」  読んでいた本は閉じられ、テーブルの隅に追いやられている。  どうやら、腰を据えて話すつもりのようだ。 「あなたは私のことを、不思議だと仰いました。その理由を具体的にお聞かせ願えますか?」  真顔で、殊更丁寧な言い回しである。  先生の様子に不穏な空気を感じて、思わず姿勢を正す。 (そうだ、後ろに気を取られて、話が中途半端なままだった)  自分はつい数分前、さも意味深長な発言を呈示していたのを失念していた。  "不思議"という言葉は、良し悪しがなんとも曖昧で、捉えようによっては誤解を招きかねない。  この言葉を使う際は、話し方に注意が必要なのに、話が宙に浮いたまま放置してしまった。  まずは、素直に頭を下げて詫びる。 「すみません。話を放ったらかすなんて、不躾な真似をしてしまいました」  気を悪くしただろうか、と先生を窺うが、憤っているようには見えなかった。 「途中で邪魔が入ってしまいましたから、仕方がありませんよ。なに、気分を害したわけではなくて、『不思議』と言われたことに、純粋に興味がありまして」  ――宜しければ、その意味をお聞かせ願えますか?  先生に改まって頼まれ、恐縮する。  ええと……と口籠り、慎重に話す内容を選んだ。 「先生は音楽なら、流行のものよりも、洋楽がお好きなんですよね」 「……ええ、まあ」  先程、ジャズを聴くと言った先生に、好みの曲を確認すると、藪から棒なこの問い掛けに彼は怪訝な顔をした。  それでも律儀に頷いて答えてくれたので、ひとまず安心する。 「他の評価に、どうにも関心を抱けないので。私にとって流行とは所詮、無用かつ不要なものでしかないのです」  "流行=他の評価"として、先生はそれをなんの臆面もなく打ち捨ててしまう。 (流行のひとつやふたつを知っていたら、話の種くらいの役には立つだろうに)  先生だって、それくらいのことはきっとわかっている筈だ。  それでも、自身が"否"と判じたものは潔いまでに断絶するその英断が、彼特有の人を寄せ付けない雰囲気へと繋がるのかもしれない。  たまに、彼を人として、どこか危うく感じるのだけれど、反面、その英断が小気味良くて、好ましいとさえ思えるのだから、『不思議』なのだ。
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