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 カランコロン  硝子の嵌まる木製の重い扉を手前に引くと、ドアベルの低くやわらかな音色が店内に響く。  開いた扉の隙間から恐る恐る中を窺えば、いつも窓越しに眺めていた光景が、すぐ目の前でより鮮明に広がっていた。 「いらっしゃいませ」 「こ、こんにちは」  そろりと扉を潜り、両足が店内の床を踏んだところで、男性の低く穏やかな声に迎えられる。  声に誘われて右を向けば、L字カウンターがあって、その中にいる初老の男性と目が合った。  この、紳士然としたおじさまが、喫茶店の御店主だろうか。  人好きのする柔和な笑顔を向けられて、やや緊張気味に会釈を返した。 (わあー、私、とうとう、喫茶店に入っちゃった)  静かな空間でみっともなくはしゃぐわけにはいかないので、興奮をなんとか押し留め、店内を見回す。 (先生どこかな)  初めて訪れた場所で否応なく感じてしまう、この心許ない思いを早く取り払いたい。  半ば緊張気味で見知った人の姿を求める内に、ある発見をした。  外から覗いた限りでは薄暗く感じていた店内は、いざ足を踏み入れれば、意外と明るい。  南向きの立地ということもあり、窓から採光し易いのだろう。  黄色みがかった照明が自然光と合わさり、和みのある雰囲気を演出していた。 (内装や家具もレトロで、素敵だな)  どうやら、店内のあちこちに御店主のこだわりがあるようだ。  店内は漆喰でできた壁以外はほとんど黒橡色の木材で統一されていて、人が動く度に床や椅子が軋む。  だが、それもまた"ご愛嬌"。耳障りだとはまったく思わなかった。 (木の軋む音って、お店そのものがお客さんに喋りかけているみたい。それに、どの木も艶々ピカピカ。フフッ、このお店はおしゃべり好きな美人さんね)  床、壁の化粧板、アンティーク調の重厚感のある造形の家具調度品――それら全てが丁寧に磨き込まれ、いずれも艶めいている。  御店主がこの店へ込める深い愛情と敬意が、其処ここに美しさとして顕著に表れていた。  そして、なんとも心惹かれるのが、各席に設えたステンドグラスのランプシェードだ。  ポピーを逆さにしたような丸みのある特徴的なフォルムで、鮮やかな赤や緑の硝子がぬくもりのある電球の光を透かし、華やかで幻想的な印象を与える。  照明だけでなく、他の装飾品や調度品――絵画(私の好きなミュシャの絵もある!)、柱時計、年代物のキャビネットも、店の雰囲気と見事に調和していた。 (ひょっとして、これって壁のお陰かな)  このレトロな空間の最大の功労者は、経年とコーヒーの油分で生成に変色した漆喰の壁だろう。  これが真新しい壁だったら、その白さが悪目立ちして、途端に調和は乱れていたかもしれない。 (ここは、なんだか明治とか大正時代の雰囲気が出て、格好いいなあ)  まるで、町のこの一角だけ旧い時代にタイムスリップしたかのような不思議な感覚を覚えた。
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