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 注文後、厨房に向かうウェイトレスを見送りつつ店内を眺めていると、先生から席を立ってもいいとの許しが出た。 「以前から気になっていらしたのでしょう。私のことは、どうぞお構いなく」  読みかけの文庫本を開きながら鷹揚に告げる先生の言葉に、有り難く甘えさせてもらう。  席を離れて見てまわる装飾品は、やはりひとつひとつが心惹かれる物ばかりだった。  ランプシェード、花と一輪挿し、椅子のクッション――といった、各席に設えられた物は、よく見れば、それぞれデザインや色が違い、マスターの遊び心とセンスの良さが見て取れる。  東側の壁中央には、柱時計が掛けられていて、微かにカッチコッチと鹿爪らしい音を立てながら時を刻む。  柱部分の窓から覗く振り子が、規則正しくゆっくりと左右に振れるのを見るのが、実はかなり好きだ。  そう言えば、古い家にはどこもこんな柱時計があるのに、今はあまり見掛けないのは何故だろう? (おばあちゃんの家にもあったな)  昼間は平気なのに、夜中になると鐘の音がヤケに不気味に思えて、母や祖母にしがみついていたのも、今では良い思い出だ。  柱時計から少し離れた壁には、くすんだ金色の額に収まった花の静止画の油絵や、猫のリトグラフ、著名な画家の複製画が数点飾られている。  店の奥に置かれたキャビネットに鎮座するのはレコードプレーヤー。  キャビネット脇に据え置かれたスピーカーからは、独特のこもった音でジャズが流れていた。  一通り店内を見てまわった後は席に戻り、他の客や従業員をそれとなく眺め、曲に聴き入り、存分に店の雰囲気を堪能する。 「この曲、聴いたことあるかも。えっと、なんだったかな……」  スローテンポで歌うのびやかな男性歌手の歌声に耳を傾けて、記憶を辿るが、なかなか思い当たらない。 「忘れられない」  先生が本から目を離さないまま告げる。 (なんの事だろう?)  首を傾げると、先生が顔を上げた。 「この曲のタイトルですよ。"忘れられない"――ジャズの名曲です」  説明を受けて、パッと閃く。 「! ああ、そうだ! "忘れられない"! あー、すっきりした。ありがとうございます」  既に読書を再開していた先生が、文字を目で追いつつ、こちらの礼にヒラリと手を挙げる。  曲を聴きながら読書をして、人の言動も気にかけるなんて、先生は器用だ。
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