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 私の家の近所には、とても古い喫茶店がある。  コーヒーの油で汚れた窓。  レンガの壁を埋め尽くす蔦。  触れる部分が擦り減ったドア。  お店そのものに染み付いたコーヒーの匂いと色。  年季の入りようは、筋金入りだ。  店内はいつもひっそりとして、暗く、中はあまりよく見えない。  そして、お店に入っていくのは、年齢層はバラバラだけど大人ばかり。子供が入っていく様はあまり見掛けない。  だから、この辺りに住む子供達にとってこの喫茶店は、関心はあるのだけれど、覗けば、なんとなく大人に叱られそうな気がして、下手に近寄れない存在となっていた。  一方、私はどうかと云えば、小中学生の頃は喫茶店にはほとんど興味がなく、目もくれない。  それと云うのも、幼い頃に一度だけ、興味本位で窓から中を覗いた事があったからだ。  薄暗い店内の黄色みがかった灯りの下、コーヒーカップを手に、各々寛ぐ様子の客の姿。  テレビもなければ、面白そうな物があるわけでもなく、ただ緩慢な時が過ぎるだけ。  そんな空間など、子供にとっては退屈でしかない。  こんなつまらない場所に好んで訪れる客が、当時の自分は実に不可解でならなかった。  ――ここは、どうやら大人だけがいることを許された特別な場所らしい。    子供の私には関係のない場所だ。  幼い私は喫茶店をそのように認識し、それ以降はお店のことをただの景色の一部としてしか捉えなかった。  だが、ある日を境に心境は一転。今度は、この古びた喫茶店が無性に心惹かれる存在となる。  それは高校一年生の頃、とある下校中でのこと。  いつものように喫茶店の前を通り掛かった時、店から漂うコーヒーの匂いに、ふと顔を上げた。  お店に注目した理由はこれといってない。  強いて上げるならば、コーヒーの匂いに惹かれたくらいだ。  常ならば、特段意識することもなく通り過ぎてしまうお店。  こうして気紛れにお店の外観を窺っても、幼少期より見慣れた景色のまま寸分も違わず、特筆すべき変化はこれといって見られなかった。  相も変わらずうっすらと汚れた窓をぼんやりと見遣りながら、そういえば……と思い出す。  ――小さい頃に一度だけ、お店の中を覗いたことがあったっけ。  その瞬間、それまで忘れていたのが信じられないほど鮮明に、当時の店内の様子が思い起こされた。  幼い頃の自分が、喫茶店をつまらない場所だと認識したあの光景だ。  ――あの時はまだ、ほんの小さな子供だったけど、今の私は、少しくらいは大人に近付けたのかな?  懐旧と共に湧き上がる疑問。  その疑問の答えを探るべく、レトロな外観に引き寄せられるようにお店に近寄ると、窓からそっと店内を覗き見た。  外観同様、中の光景も相変わらずなようである。  なのに、どうしてだろう? 以前見た時とは違い、なんだか不思議とその落ち着いた雰囲気に惹き付けられた。
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