プロローグ 性の目覚めに白魚の指

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 私の母、利茂世は、この国が建国以来の激動に見まわれる昭和のひと桁台、ある婦人雑誌の表紙のモデルになったことがあるとかで、その細面の、大きな瞳をもつ、端正な美しさは、幼いころの私の自慢だった。  小学生の頃、学校の参観日があると、教室の後ろに立って授業をみている母を意識して、積極的に手をあげ、前日に予習してきた成果を、誇らしげに披露するのだった。  遠足の日には、母がついてきてくれた。その頃、病弱だった私のために、医者に聞いたとかで、味噌でくるんで焼いたにぎりめしを、若草の上に座って二人で食べた。母と二人というのが何か無性に楽しかった。  指の長い、その白い手をしっかり握って歩いていると、疲れを感じないのだった。 「まろ君はお母さん子なんだね」と、付き添いの先生が、私に寄ってきて声をかけたが、美しい母を独り占めしている自分が何か誇らしかった。  私はクラスで “まろ”と呼ばれていた。本名を、木下麻穂呂という。  しかし、誰も、木下と呼ばず、麻穂呂(まほろ)と呼ばなかった。  仲間の子供たちが“まろ”と呼びだしたら、先生まで、“まろ”と呼ぶようになった。  私も時に、答案用紙などに、“きのしたまろ”と書くことさえあった。  長じるまで、この名前が好きでなかったのは確かである。なぜ、このような名前を付けたのかと思うことも度々だった。
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