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「……それで、その子が一緒に食べに行こう、って言うの」
「何を?」
「羊の脳」
「えぇ……」
顔を顰(しか)めた僕を見て、理沙が笑った。
「一度は食べてみても良いと思わない?」
「僕は遠慮したいな」
話題から逃げるようにワイングラスを取った。間接照明というのか、照明を少し暗めに調節してあるこの店では、赤ワインは何だか血のように見える。何を考えているんだ、と視線を戻すと、グラス越しに理沙と目が合った。
「桐島君、今晩空いてる?」
そう誘ってきたのは彼女からだった。恋人ではないがただの同僚でもないような、そんな関係の女性。たまにどちらかの気が向くと二人で食事に行くような。
もっとも、声をかけるのはほとんど彼女の方からだった。生来の性格もあって、僕から彼女に声をかけることはあまりなかった。外見も中身も今ひとつぱっとしない僕のことを理沙がどう思っているのか、面と向かって尋ねたことはないが、少なくとも僕は彼女のことを憎からず思っていた。不思議と馬が合って他愛ない話でも盛り上がり、人をそれとなく元気づけるような明るさがあり、そして顎から耳へすっと抜ける、綺麗な輪郭をしている。
「でもこの店も、彼女に教えてもらったの」
「良い友達なんだ」
「うん」
彼女は心からの笑顔を僕に向けてきた。話が一段落したところを見計らってか、ウエイターが静かに近寄ってきた。
「デザートでございます」
「……これは?」
そっと置かれたプレートには細いチョコレートの文字で、ケーキと、何より店の雰囲気を損なわないように何かが書いてある。理沙はワインのせいか頬をほんのりと染め、秘密の話を耳打ちするように言った。
「誕生日でしょ、桐島君?」
「……覚えてたんだ」
「当然」と理沙は胸を張る。何でもないようないつもの雑談の折、互いに誕生日がいつかを話したことを僕も覚えていた。
「ありがとう」
抑えた感情は、それでも声に滲(にじ)み出ていたかもしれない。僕はフォークを取った。
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