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そんな私の耳に、こほんととわざとらしい咳払いが届く。
顔を向ければ類先輩がいた。その横には先生。そして・・・。
私は響さんから離れると、私を見つめる男の元へ歩いて行った。
カッと全身が怒りに震えていた。頭の中は真っ白だ。
「姫さん!」
遥の制止の声が聞こえたけど、そんなのは無視だ。
聞ける訳がない。
握り締めた拳を振り上げ、伊織さんの頬を力一杯殴った。人なんて殴ったことない。だから加減も何も分からない。きっと簡単に避けることが出来る私の情けないパンチを、伊織さんは避けなかった。
殴られた反動で、2、3歩よろけた。私はそのまま胸倉を掴み、自分の目線まで引き下げる。
されるがままの伊織さんと目を合わせた。
「あんた、何考えているの?人の気持ちを何だと思っているの?弄んで、何が楽しいの?人は、あんたの玩具じゃないのよ。自分の子供じみた我儘のせいで、どれだけ先生が苦しんでいると思ってるの!」
私は掴んでた胸倉から手を離し、両の頬を抑えた。
私の勢いに呑まれ、怯んだ目をする伊織さんは、何だかイタズラが見つかって叱られている幼い子供のように、ひどく頼りなく見えた。
「自分の思い通りに事が運ばないからと言って、拗ねていじけるのはもう止めたら?」
響さんに似た顔が歪む。
「誰かの為に決めた人生でも、決して後悔はしていないのでしょ?」
秘書の男性に怒られていた伊織さんは、楽しそうだった。取り繕った笑みじゃない。文句を言われているのに、笑ってた。
「ちゃんと、自分の居場所を見つけられたんでしょ?今、笑えているのでしょ?」
僅かに見開かれた目がゆらゆらと揺れている。
「目を逸らしちゃダメ。伊織さんは、ちゃんと見えてる筈だよ。周りはこんなにも暖かい。ほんの少し心を開くだけで、手に入れられる物は一杯あるんだよ?ーー素直になろうよ」
伊織さんは唇を引き結び、じっと私を見つめる。そうして小さく、本当に微かに頷いた。
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