第1話 「落書きの秘密」

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「夜もあまり眠りませんし、食事もこちらが促さないと取りません。療育に通っていますが先が全く見えないんです。もちろん生まれつきの脳の障害なので、治るとかそんな事は期待していませんが、少しでも社会に順応する形で彼が生きやすいように育ててあげられればと思って毎日頑張ってはいます。でも、なかなか上手くいかなくて……。こんな事を言ったら怒られるかもしれませんが、同じ障害なのにコミュニケーションが多少取れるお子さんもいて、それが羨ましかったり、その事を理不尽に思ったり……情けないですよね。本当に人それぞれだと分かってはいるんですが、自分の気持ちの置き所がなくて……毎日苦しくて仕方がないんです。夜、眠れなかったり、子どもを抱いて衝動的に死んでしまおうかと思う時もあります。将来の事を考えると動悸が止まらなくて」  母親は膝の上に置いた手をぐっと握り締めた。 「なるほど。他に何かありますか?」 「一番苦しいのは息子を理解してあげられない事です。本当に何を考えているのか分からなくて……自分の子どもなのに分からないんです。それが本当に辛いです。私の事をどう思っているのか、私を母親だとちゃんと理解しているのか、人間的なって言ったら変ですが、そういう気持ちが彼の中にあるのかどうか……この体の落書きも息子が描いたものなんです。私の洋服や鞄や大事にしている日用品まで、あらゆるものにこの落書きをするんです。理由はよく分かりません。ペンを隠すとパニックを起こして収拾がつかなくなるので、今は好きに描かせています」
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