第1話 「落書きの秘密」

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 龍門は体を揺らしている男の子の前に先程撮った写真を置いた。男の子は龍門の手を取るとそのままペン立ての方へ引っ張った。どうやらペンを取ってくれと言っているらしい。龍門はマジックの蓋を取るとペンを男の子に渡した。 「皆さ、んは、数字の美しさを知ってい、ますか。1は0除い、た最小の正の整数で最、小の自然数でもあ、ります。ちょう、ど一個の正の整数で割り切れ、る唯一の正整数で、す――」  男の子はさっき龍門の前で言っていた台詞と全く同じ台詞を繰り返した。写真に写っている母親の顔の上にマジックで縦線を四本描く。母親の体全体に同じ作業をし終えるとペンを置いた。母親は龍門に助けを求めるように視線を泳がせた。 「分かりましたか?」  母親は頷いた。 「一哉が乗った電車には数字の1がある。乗らなかった電車には数字の1がない。この落書きは縦線ではなく……数字の1だったんですね」 「そうです」  母親はふぅと長い溜息をついた。 「いつも思ってました。どうしてこんな事になったんだろう。どうして私の息子じゃなきゃいけなかったんだろうって。駅のホームで泣き叫ぶ一哉を押さえて、周囲の人たちから白い目で見られながら……。時には知らない人から怒鳴られる事もありました。こんなのを外に出すなと。指を噛まれて痛くて、誰にも言えなくて……人ごみの中、心の通じない息子の手を引っ張りながら自分は世界でたった一人、立っているような気がしました。このまま二人で電車に飛び込んだらどれだけ楽になれるだろうって。たった五分の距離が世界の果てに思えました。でも、理由があったんですね。一哉は1のついた電車に乗りたかった。それが今、分かりました」
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