第2話 「地下アイドルの憂鬱」

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     1  細かい雨が夜の歩道を黒く濡らしていた。例年より少し遅れて来た梅雨がジメジメとした空気を運んでくる。歩いているだけでスーツの裾が足元に絡み、ただでさえ重い気分がさらに重くなる。にもかかわらず、鹿野誉(しかのほまれ)の隣にいる男のテンションは異様に高かった。 「バンビちゃんと一つの傘に入って歩けるなんて嬉しいなぁ。まるで恋人同士みたいだ」  龍門(りゅうもん)は傘の中でイタリア人のように陽気に肩を竦めてみせる。こうやって白衣ではなく黒いスーツを着ていると確かに色男の雰囲気があった。その背は驚くほど高く、肩と腕は硬い筋肉で締まっていて、生地の薄い滑らかなスーツがあつらえた皮膚のように体に馴染んでいる。  精神科医に見た目は必要ないが、龍門は顔立ちも整っており、周囲からはドラゴン先生と呼ばれて慕われている。底知れぬ変態性を白衣の下にきちんと隠しているからだ。だが誉は、この男が見た目は百点、中身は0点な事を知っていた。残念なイケメンとは正にこの男の事だ。 「ちょっ……やめて下さいよ」  尻の辺りに不穏な空気を感じて誉は声を荒らげた。 「病院はともかく、外で尻を触ったりしたら、迷わず回し蹴りしますから」  傘の下で龍門を睨みつける。誉が凄んでみせても龍門は笑ったままだ。 「バンビちゃんにドラゴンが倒せるかな」 「ホントいい加減にして下さいよ」  最近は尻を触られる前の微妙な空気を感じ取れるようになってきた。そんなスキルだけ上がってどうすると、自分にツッコミを入れそうになる。本当に情けない。医師としての腕は確かな龍門のもとで精神科看護のいろはを学ぼうと必死になっているが、おかしな所ばかりが敏感になっている。
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