七十六番の彼

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七十六番の彼

七十六番の彼  私は今恋をしている。彼の名前は知らない。一方的な私の片思い……。  彼が私の名前、名前と言っても名字、制服に付けているネームプレートに記された「河合(かわい)」という名字が彼の視界に入って記憶されているかはわからない。  彼の年齢は二十代後半から三十代前半くらいかな? 彼については何も知らない。  いや、彼について唯一知っていることは、彼が愛煙家だということ。  彼は時折私の前に姿を現し、少しだけの会話を交わす。 「いらっしゃいませ」 「七十六番のたばこを一つください」 「はい、こちらの商品でよろしいですか?」 「はい」 「お手数ですが承認ボタンを押してください」 「はい」 「四百四十円になります」 「はい」 「五百六十円のお返しです。ありがとうございました」  会話はこれだけ。単なるコンビニでの接客応対。  だけど、このひと時が私にとってはとても素敵な時間。  彼の声はとても耳触りが良く、私の鼓膜に甘く優しく響く。  ぷにぷにぷにぷに。ぷにぷにぷにぷに。  彼は小太りでスタイルはあまり良くないけれど、歩くと可愛い音がしそうなクマのぬいぐるみのようで愛らしい。たばこよりもはちみつの方が似合いそう。  彼に会えた日はとてもうれしいのだけど、次に会える機会がとても待ち遠しくもなる。  彼に会えなかった日の夜、私は自宅のアパートのベランダで彼が吸っているのと同じ七十六番のたばこを一本だけ吸う。  一本だけ。吸うと言ってもふかしているだけ。たばこは体に悪いから。  彼は今日はまだ姿を見せない。  接客、商品の陳列、その他雑用、いつ彼が現れるか待ちわびながら私はいつもの作業をこなす。  結局、今日は私のバイトが終わるまで彼は現れなかった。  今日はありえないミスをして店長に注意されてしまった。パスタのお弁当を買ったお客さんにフォークではなくスプーンをお付けしてしまうなんて……。  彼に会いたかったな……。彼と話したかったな……。  ぷにぷにぷにぷに。ぷにぷにぷにぷに。  彼の後ろ姿を見るだけでも私は癒やされるのに……。  まっすぐ自宅に帰りたくなかった私は、駅前のカフェに寄り道することにした。  夕方のカフェの店内は混んでいてテーブル席は空いておらず、一つだけ空いていた喫煙席のカウンター席に腰を下ろした。
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