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思わず右の頬をつねっていた。頬が少し赤くなりそうなくらい強くつねってみたけれど、もちろん夢から覚めるわけでもなく、ただただ頬が痛いだけだった。
夏の空に雪が降っている。
ううん、それはない。夏に雪が降るはずがない。そういうものだから。都会でオーロラを見られるはずがない。そういうものだからだ。
厳密に言うと、空からというよりは、校舎二階の図書室の窓から降っている。雪というよりは紙吹雪が舞っている。夏だというのにこの頃降りみ降らずみの本物の空は珍しく晴れていて、ぽつぽつと浮かぶ雲の底は薄く桃色づいていた。
ぬるい風がそよと吹いて、私の頬と首筋をなでる。制服のスカートが揺れる。その微風に乗って、はらはらと、くるくると、無数の紙吹雪の一片がこちらへとやってきた。とっさに右手を出す。指先に止まる小鳥みたいに、吸いこまれるようにその紙片は私の手のひらに着地した。
エンデだった。ミヒャエル・エンデ。児童書の、『果てしなき物語』や『モモ』の作者。本のプロフィール写真を切り抜いたものだ。
私はそれをまじまじと見つめてから、のろのろと顔を上げる。思考が回らない。
紙吹雪はまだ舞っていた。誰かが二階の図書室の窓からぱらぱらと紙片をばらまいている。子供が公園の砂場で、すくった砂が手からこぼれ落ちていくのを眺めるような、そんな無垢な表情を『彼』はしていた。
太宰治が、夏目漱石が、モンゴメリが、ジッドが、アンデルセンが――切り抜かれた作家たちのプロフィール写真が、正面玄関のくすんだ赤のタイルに降り積もっていく。
気づけば私は泣いていた。どうして泣いているのかわからなかった。
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