四章

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「私を殺してくれ。ワレサ」  ふりむいたハイリーの両眼からは、涙があふれていた。  病のせいで表情のなくなったおもて。  嗚咽(おえつ)の声もない。  静かな涙。 「私の体が完全に病におかされる前に、おまえの手で私を殺してくれ。今ならば、私は死ねる。この心臓が動いてるうちに。その剣で」  そうしなければ、ハイリーは狂ってしまうだろう。  いや、すでに狂い始めていたのかもしれない。八つの子どものワレサに、自分を殺してくれと頼むのだから。 (ああ。ハイリー。おれは大人になった。約束どおり強くなって、今なら、あなたより力もある。あなたが歩けなくなれば、おれが運んであげる。あなたのかわりに手紙も書く。食事のときには、おれの手で一口ずつ食べさせて、湯浴みでは背中を流す。今なら、おれはなんだってできる。なんだってできるのに、どうして、あなたはいないんだ。なぜ、死んでしまったんだ)  生涯でただ一人、主君にしてもいいと思った人だったのに。不治の病に身も心も(むしば)まれて、死んでしまった。 「ワレサ。何をぼんやりしてるの?」  呼びかけられて、ワレサはドキリとした。 (この子も病気なんだ。怖い……)  皇都へ向かう船のなか。  出会った少女。 「ねえ、ワレサ。わたしのお兄さんになってくれない? わたしね。一人っ子でしょ。ずっと、お兄さんがほしかったのよね」 「君、誕生日は?」 「風の月よ」 「ぼくも風の月だ」 「何日? わたしはね。アイサラの一日よ」 「じゃあ、ダメだ。ぼくはアイサラの三日だからね。君のほうが、ちょっぴり、お姉さんだよ」 「ええッ。たった二日じゃない。なんとかできない?」 「そんなのできないよ」  ほんとは一つだけ方法がある。ワレサのほうが年上になる方法が。  でも、大丈夫。  シェレールは死なない。  そうだよね。シェレール。君の胸は少しだけ、ほかの子より弱いかもしれないけど、それだけのことさ。  死んだりしない。  だって、君はこんなに明るくて、活発な女の子だ。病気だってこと、忘れてしまうくらい。 「ねえ、ワレサ。わたし、やっぱり、あのことはよすわ」  真剣な顔をして、何を言いだすかと思えば、 「あのことって?」 「わたしのお兄さんになってほしいってこと」 「ああ、あれね。ムリだって観念したの?」 「わたし、イヤだもの。ワレサがお兄さんだなんて」 「……そう」  嫌われたのかと思った。  でも、シェレールは頰を真っ赤にそめて、こう言った。 「兄妹では結婚できないじゃない」 「シェレール……」 「わたしね。あなたと離れていると、体の半分がなくなってしまったような気がする。父さまより、母さまより、ワレサが好き。世界で一番、ワレサが好きよ」  いいの? ぼくは君を愛してもいいの?  こんなに……汚れてるのに? 「どうして泣くの? ワレサ」 「君を……好きだから」  幼くて、切ないキス。  シェレールのふれた唇から、透明な光がさして、ワレサを洗っていくような気がした。  この子がいればいい。  もう何もいらない。  神さま、どうか、この子を奪わないで。  ぼくの命をかわりにあげる。  だから、お願い。  この子を殺さないで。  あんなに必死に祈ったのに—— (死んでしまった。シェレールは死んでしまった!)  この世に神なんていない。  泣き叫んだ、あの日。 「信じない! ぼくはもう二度と、神なんて信じない! あんなに頼んだのに。シェレールをつれていかないでって。頼んだのに!」  みんな、死んでいく。  おれの愛した人は……。
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