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すでに兵士たちは散りはじめていた。その波にさからって、ハシェドがかけよってくる。
「ワレス隊長。大丈夫ですか? 頰から血が出ていますよ?」
「ああ……たいしたことはない」
「ひどいなあ。メイヒル小隊長。わざと傷つけようとしてましたよね」
「しッ。聞こえるぞ」
そばにまだギデオンとメイヒルがいる。
ワレスはたしなめた。
が、ふだん人のいいハシェドが、めずらしく憤慨している。
「だって、あんなんでいいなら、おれだって——」
「まあいい。すんだことだ」
「そうですか? いくら試合に勝ちたいからって、あれはないですよ」
ハシェドが言うので、ワレスは笑った。
別にアイツは試合に勝ちたかったわけじゃないさ。
そのとき、ワレスは背後から呼びとめられた。
「ワレス小隊長」
ギデオンだ。
「なんですか? 中隊長殿」
ギデオンはふりかえったワレスを、吸いよせられるように見つめる。ワレスにかすかな痛みをあたえる、頰の傷を。
「今日の試合はまずまずだった」
「ありがとうございます」
「しかし、おまえは見たところ左利きだな? なぜ、左を使わない? 右もよく訓練されてはいるが、受け身になると、必ず型どおりになる。学校で教わる試合向きの剣さばきだ。実戦では一瞬の遅れが生死をわかつ。左を使え」
言いながら、なおもワレスの頰ばかり凝視する。
ワレスは薄気味悪くなった。黙って頭をさげる。
ギデオンは無意識のように、ワレスの頰に手を伸ばしかけた。そこで我に返り、去っていった。メイヒルがついていく。
二人の後ろ姿が小さくなるまで、ワレスは見送った。
「あいつ、血を見ると興奮するタチか。つくづくイヤな性分だ」
ハシェドがギデオンをどう思ってるのかは知らない。
ワレスと上官の軋轢を回避させるのも、下士官の役目とでも思ったのだろうか。とりなすように言った。
「でも、さすがですね。おれはぜんぜん気がつきもしませんでした。ワレス隊長、左利きなんですか?」
ワレスは返答につまる。
「まあな……」
「太刀筋でわかるなんて、やっぱり凄腕なんだな」
「おれの粗探しばっかりしてるからじゃないか?」
まったく、イヤなヤツだ。
人が隠してることを、さらりと見抜く。
だが、ワレスは文句をつけたくなるのを、ぐっとこらえる。それについてはあまり言及されたくない。
しかし、ハシェドはたずねてきた。
「なんで左を使われないんですか?」
あの日も、今日のように寒かった……。
ぼんやり考えながら、ワレスの口はしぜんに言いわけをする。
「学校では右持ちが普通だった」
「へえ。ほんとに学校に行っておられたんですね。どおりで、我々とは頭のできが違う。剣のかまえも、きちんと基礎があるとは感じていましたが」
「おれのは試合用だ。中隊長も言ってたろう。実力はおまえのほうが上だよ」
「おれのはケンカ殺法ですから。ああいう試合は苦手です。よければ今度、正攻法というやつをご指南ください」
ハシェドの疑いのない眼差しが痛い。
騎士学校で右を使うことが主流だったのはほんとだ。ワレスはそれに乗じて、左手を封印してきた。使えば、あのことを知られるような気がした。
あのとき、すでに、ワレスの手が人の血で汚れていたことを……。
(後悔はしてない。だが、人に知られるのは怖い。ハシェドにだけは知られたくない)
ワレスが砦に来て、まもないころ。周囲から孤立して苦しかったときに、つねにかたわらで励ましてくれたハシェド。
自分でも知らぬまに、そんなハシェドに片恋していた。
そっと、よこめでながめる。
ハシェドの甘く男らしいよこ顔。ブラゴールの血をひく、ハシェドの褐色の肌を。
視線を感じたのか、ハシェドもワレスをながめてきた。
あわてて目をそらす。
そのしぐさが自分でも不自然に思えて、頰が上気するのがわかる。
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