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「もう! いつまで待たせるのさ。せっかく、わかした湯がさめちゃうよ」
真っ赤な髪のエミールが、左右の色の違う双眸でにらんでいる。
「いたのか」
ワレスが言うと、エミールは女の子みたいな頰をふくらませた。
「はん。気をきかせて、話おわるの待ってたんだよ。でも、あんたら、長いんだもん——ああ、もう、隊長ったら、きれいな顔に傷なんか作って。痕になったらどうすんの?」
「このくらい、すぐ治る」
「そうは言ってもさ。あんたの顔に傷はすごい損失だよ」
エミールはワレスの首に両腕をからませ、とびついてくる。子犬みたいに、ワレスの頰をベロベロなめる。
「よせ。兵たちが見てる」
ほとんどの兵士は砦のなかに入っていたが、それでも、なんとなくそのへんをうろつきながら、ワレスの姿をながめてるのが、けっこういる。それらの兵士がこのようすを見て、にやにや笑っていた。
「いいじゃない。おれとあんたの仲なんだから。恋人でしょ? それに、こうしとくと早く治るんだよ。おれ、いつもこうして治してる」
「そんなことしなくても、おれは治りやすい体質なんだ。痕も残らない。それより、湯がわいてるんだろ? 早く入りたい」
「そう思って、特別だよ」
「駄賃がほしいんだろ?」
「はいはい。毎度あり」
これが子爵令息なんだから、世も末だ。
「何度も言うようだが、エミール。おまえ、父の生家へ行く気はないのか?」
エミールは亡くなったコリガン中隊長の隠し子だ。中隊長は家督を弟にゆずったというが、両親を亡くしたエミールは、本来、子爵家にひきとられるべきである。
しかし、エミール自身がこう言うのである。
「だって、おれ、聞いたんだよ。父さんのかわりに子爵になった叔父さんって、父さんがふった元いいなずけと結婚したんだって。おれの母さんのせいで別れたんだろ? おれ、絶対、いびられるよ。だから、行かないの。まあ、砦やめるとき、小さい家のひとつくらい、もらってもいいかなとは思ってるけど」
たしかに、エミールの言いぶんにも一理ある。
亡くなったコリガン中隊長は、若いころに家を出たまま、二十年も生家へ帰ってない。
家督を継いだ弟には、すでに何人も子どもがあり、今さら、そこへ引きとられても、エミールは肩身のせまい思いをするだろう。
幼いころから他人の悪意にあってきたエミールは、ちゃんと、そういうことを知ってるのだ。
「だからって飯盛りなんかしてても、どうかとは思うがな」
もとは傭兵として砦にやってきたエミールだが、前の事件で、すっかりこりたらしい。今は傭兵はやめて、厨房で雑用係りをしている。
砦の一万五千人の兵士のために、コックは二十人ほどいる。その見習いというか、おもに食事を盛りつける係りで、裏にまわれば売春もする少年のことである。
男ばかりの殺風景な城では、こういう存在も必要だ。城の上層部も黙認している。言ってみれば、兵士全員のペットみたいなものだ。
たしかに、ワレスだって、殺伐とした砦の暮らしのなかで、食事までヒゲづらの大男に出された日には、やりきれない。
「隊長ってば、妬いてるの? 大丈夫。誰に体をゆるしても、心はあんたのものだよ」
エミールの髪の色と同じほど赤い口が、むうっと、ワレスの口に吸いついてくる。
ワレスはむりやり、ひきはがした。
「さっさと、おれの部屋に湯を運んでおけ」
「てれちゃってぇ。可愛いの。じゃ、運んどくよ。班長にも、サービス」
エミールはすばやく、ハシェドの口に唇を押しつけて、笑いながら去っていった。
エミールは知っている。
ワレスがハシェドにふれたくて、ふれられないでいることを。
「あいつめ。だんだん、タチが悪くなってくる」
ハシェドのてれくさそうな顔を見て、ワレスは不機嫌になった。
ハシェドがあわてる。
「あれは隊長の気をひきたくてやってるんですよ。いつもダシにされるので、おれだって困ります」
「エミールは可愛いからな。おまえだってイヤな気はしないだろう」
「いえ、そんなことは……」
ごにょごにょ言って、うつむく。
自分で決めたこととはいえ、ワレスの先行きは苦しそうだ。
恋人であるより、友人であることを望んだ、ワレスの選択は。
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